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gonngoetsu
gonngoetsu
写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
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Posted by チェスト at

2009年03月06日

外交敗北

天文館で冬の忘年同窓会。
吹上浜キャンプ場で、夏の同窓会をするのが高校同窓生の恒例行事でした。

大鍋で米を炊き、カレーを作った8月夏の吹上浜キャンプ場。
昭和43年の卒業以降の10代の終わり、20代の頃、30代の頃、
計10数回は吹上浜でキャンプ場同窓会をしたでしょうか。


31年前の昭和53年(1978年)8月、あの吹上浜に、
ひとさらいが現れたんですよね。

沈む夕陽をバックに愛を語らうデート中の若い二人。
そんなロマンチックな状況の中で、
神隠しにあったみたいに忽然と消えた二人。

あの吹上浜から連れていかれたんですね。
市川修一さん(当時23歳)さんと増元るみ子さん(当時24歳)さん。

家族や周囲の者も、当初は、なにがなんだかわけがわからなかったでしょうね。
小泉訪朝時に、金正日が認めるまで北朝鮮は、
拉致なんてでっち上げだと言ってましたよね。
社民党(社会党)も拉致なんてでっち上げだと言っていませんでしたか。

誘拐、拉致され北朝鮮に連れていかれ、その後どうなっているんでしょうね。
この情報通信の発達した時代に、電話一本の連絡もできないんですよね。
増元さんのお父さんは亡くなれたんですよね。お嬢さんに会いたかったでしょうね。

拉致被害者、なかなか帰国できないですね。
国民を北朝鮮にさらわれ、取り返せない、日本の主権はどうなっているんでしょうね。

もし
セゴさぁが生きていたら、セゴどんの時代だったら。
薩摩藩士が救出に向かったでしょうね。
明治から、大正、昭和、平成と時を経て、情けない国家に成り下がったものです。


著者はテレビコメンテーターとして皆さんご存知の重村智計氏です。
当時報道された小泉訪朝(2002年9月)ニュースの
裏側を知る意味では興味深い本 「外交敗北――日朝首脳会談の真実」 です。  


Posted by gonngoetsu at 14:06Comments(2)読書

2009年03月03日

機内食

エコノミークラスの機内食は弁当みたいにワンパックです。
エコノミーは座席数が多いので配るお姉さん方も忙しそうです。

国際線は飛行時間の長短にかかわらず、機内食が出ます。
短時間に国際線の乗り継ぎを繰り返しますと、次々食事が出てくるので
時差ボケに、食事ボケが加わります。
飛行時間が短いと、食事を配るお姉さん方も忙しそうにしております。
笑顔のお姉さん方は決して口には出しませんが、
この弁当を、とっとと、食ってください、と感じる航空会社も中にはあります。

今回のエコノミーと違って
ビジネスクラスですとテーブルクロスをかけるのからスタートして
食前酒、前菜、メイン、デザート、食後酒と手がこんでおり
お食事をゆっくりと、ご賞味くださいませと言った感じです。

今までで、料理が豪華だなと思った機内食はサウジアラビアエアーでした。
アラブの王族か石油王が利用するのでしょうか、小生は
ビジネスクラスだったのですが、ワゴンで数種類の料理をはこんできまして
ビュッフェみたいに好きな料理を好きなだけ選べるのです。
デザートのケーキ、フルーツ、アイスクリームまで、至れり尽くせりでした。



アブジャ国際空港
搭乗口ゲート前。

Mar.1.Sun.
10:15 Am発








BA082便。

ロンドン行、
Boeing777機内。







メインは
骨付きラム肉。

非常にやわらかい
肉でした。

右上のボトルは
赤ワイン。





ロンドン到着前に
サンドイッチで
コーヒータイム。










Mar.1.Sun.
7:00 Pm発
JL402便。

成田行、ジャンボ機内食。
牛丼、茶そば、
シュリンプカクテル、
ストロベリームース、
ロール&バター、
コーヒー。



隣の方の
機内食を
盗撮。

洋食を選びますと、牛丼が、
鱈の香草クリームソース
添えになります。

食前酒は
ワイン、ビール、
ウィスキー等です。


成田空港到着前に
フレッシュフルーツ、
スパニッシュオムレツ、
ベーコン、
ハッシュブラウンポテト、
フルーツヨーグルト、
クロワッサン、
コーヒー、紅茶、緑茶。

Mar.2.Mon.
3:30 Pm成田空港着でした。

上写真は一昨日搭乗したBA、JLのエコノミークラス機内食です。  


2009年02月28日

ジョルフライス


スパイシーな赤色ご飯。
ナイジェリアを代表する
料理の1つです。

ジョルフライスと言うそうです。
香辛料が効いた
チキンライスのようなものです。
ジョルフライスの上に
鯖のから揚げが
二切れ乗っかっております。




先日、
テント張りの
現地飯屋に行きました。

テント内部です。









厨房です。
鯖のぶつ切りを
油で揚げています。
ガス、水道はありませんでした。
熱源は薪。
水はFRP(2t)タンクが
置いてありました。

食事代は
ペプシ込みで300円でした。


From アブジャ(ナイジェリア)  


2009年02月26日

北朝鮮に消えた友と私の物語

あなたの胸に抱かれて わたしの青春は花開くだろう
党の旗 金日成首相の教えにそって
あたたかい祖国の前に 忠誠をつくそう 青春の心臓を捧げよう


「祖国の大地に口づけする」 詩の作者は
1959年12月新潟港から帰国した東京朝鮮高級学校(高校)3年生の崔英子さん。

「地上の楽園」 という宣伝文句を信じ、希望に燃え
北朝鮮に帰国して行った朝鮮人帰国者、帰国者の日本人妻の、その後は、・・・・・。

著者は、1972~1973年の間、
赤旗のピョンヤン特派員として北朝鮮に滞在した人です。
のちに、外信部副部長解任を言い渡されたことにより
赤旗編集局は、1988年12月に辞表を出し退職しています。

この本 「北朝鮮に消えた友と私の物語 (文春文庫)」 は5年前に読んだのですが、
また手に取ってしまいました。


もし 聖人ばかりの 世界があるとしたら
そこはたぶん 「地獄」 という名で呼ばれるだろう  


Posted by gonngoetsu at 02:34Comments(0)読書

2009年02月22日

トカゲ (LIZARD)

30cm40cm級が
あちこちに出没します。
派手な格好をしています。

さすがアフリカは
ナイジェリア国籍トカゲです。
風格が漂っています。
強そうです。

日本国籍のトカゲとは、
体格が違います。肉食恐竜を
連想させる面構えです。

From アブジャ (ナイジェリア)  


2009年02月18日

アブジャの街角

なんか笑えませんか。下の写真。

笑えると言っても別に、おなかを抱えて大笑いをするとかじゃぁなくて。
ホラ、あるじゃないですか、こう言う場面に出くわすことって。
何の前触れもなく突然、思ってもいなかった文言を目にすることって。
意外な場所で意外な出会いが。

アルコール片手の深夜の天文館でのY談中の話ならともかく、
しらふなのに恥かしげもなく白昼堂々と。しかもこんなに誇らしげに高々と。
不覚にも、不意打ちを食らってしまいました。
鹿児島から遠く離れた、アブジャの街角でこんなインパクトのある
文字を仰ぎ見るとは思ってもみませんでした。

鹿児島ブログチェストの末席に一員として連なり、高尚なチェストブロガーの品性を
落とすわけにいかないとの自覚をもって常日頃から行動しておりました。

たかが、こんな通り名を目の前にした、これしきのことで。
平常心を失う分けにはいかないと思っておりました。
苦虫を噛み潰したような難しい顔をして、
毅然とした立派な態度を貫きたいと思っておりました。

圧倒的に女性優位の鹿児島チェストブロガーの皆々様に嫌われないようにと、
おじさんは下ネタを書きたくても極力、控えておりました。
書きたくても我慢おばしておりました。

書いている時はいいのですが
書いた後に襲ってくる、けだるい満足感に伴う、軽い罪悪感、自己嫌悪の念を
味わいたくないばっかしに、自分おば抑え耐えておったとです。

が、しかし、鹿児島では日陰者として裏街道を、遠慮がちにさすらっている文字が
当地ではこんなにも晴れ晴れと表街道で、
自己主張をしている現実に胸をうたれてしまいました。

たそがれ街道を、トボトボ歩む中年男の悲しいサガでしょうか。
ブログネタとして食らいついてしまいました。
久しぶりの成人向け (18歳以下入場禁止) ネタです。

この写真を目にして頬が自然に緩むのは、
かごっまで生まれ育った人間が背負った宿命ですよね。

それとも、この文字周辺から醸しだされる妖しげな誘惑・挑発に負け
過剰反応してしまう思考回路がおかしいのでしょうか。
でも小生、決して不審者とか、変なおじさんの類ではございません。

アブジャの街角の、こんな通り名を見かけたばっかりに。
なにも見なかったことにして胸の動揺を隠し
平静を装い通り過ぎればよかったのでしょうか。

ナポリ通りをごぞんじですよね。
武小学校5年か6年の頃でした、たしか当時の平瀬市長時代に鹿児島市は
ナポリ市と姉妹都市の契り結び、それを記念してあの通り名になりました。
ナポリ市にも鹿児島通りがあるそうです。

遠く離れた当地にも、
鹿児島にとって由緒深い言葉を冠した通り名がすでに存在していると言うことは
鹿児島市とアブジャ市もなにかの縁があったんだと言うことですね。

だいぶ前置きが長くなりました。
昨今の株安 (日経平均株価、7、645円)、円高 (1米ドル、92円) による
不景気が続いております。無敵とも思えた、
天下のトヨタ自動車が創業以来の大赤字ですか。

地場産業に携わっていらっしゃる鹿児島の皆様。微笑を忘れていませんか。
下の写真を見て、硬くなって硬直した頬の筋肉を少しでもほぐしてください。、
明るい明日への道(ストリート)を邁進しましょう。



PS.本日の、ネタは鹿児島地区限定版です。

鹿児島県人関係者以外の方はご理解いただけないと思います。
頬の筋肉を片頬でも緩めたい方は鹿児島県関係者にお尋ねください。

周囲に鹿児島県関係者が見当たらない他県の方は、申し訳ございませんが
お住まい地域の鹿児島県人会事務局迄、お問い合わせください。

鹿児島県人会事務局のお姉さんの返事する声が小さくて聞き取りにくかったり、
くちごもるようでしたら、男性職員に、女性職員でしたら、
40代 (個人差がありますが一応、39歳までセーフと言うことで
線引きさせてもらいました) 以上の既婚者に代わってもらってください。

鹿児島県庁の観光振興対策課
方言指導係 (こんなような部署があると思うのですが) に
お尋ねくださってもけっこうです。
観光立県である鹿児島県職員が、親切にご説明しお答えいたします。

From アブジャ(ナイジェリア)  


2009年02月17日

ナポリタン

キッチン付ホテルに滞在しております。土曜日夜に、ナポリタンを作ってみました。

スパゲッティは便利なもので、
海外でそばを食べたいときは、麺を茹で、粉末めんつゆを溶き、
ちぎった焼海苔を振り
ざるそば風に食べますとこれがなかなかいけます。

ビールは、くせがなく飲みやすい、ナイジェリア製のスタービールです。

From アブジャ (ナイジェリア)  


2009年02月14日

フルーツ

フルーツを買いました。

フルーツマーケットでスイカ、マンゴー、りんご、バナナを買いました。
下の丸いのはパイナップルのスライスがラップで包んであります。

バナナはまだ青いですが、食べごろでした。
アフリカ産バナナは日本で食べるアジア産とは種類が違うのでしょうね。
味も違います。2~3本一気に食べてしまえるぐらい非常に美味しいです。

ピーナッツは空き瓶に入れて売っておりました。
自前で、乾煎りしたのか表面の一部が黒く焦げておりました。
形や大きさはそろっていませんが、
これがまた食べだしたらきりがないくらい美味しいピーナッツでした。

アブジャは他のアフリカ都市と比べて物価の安さは感じません。
総額1000円でした。

From アブジャ (ナイジェリア)  


2009年02月11日

いつ諦めるのか

なかなか、あきらめるって簡単にできることではないですよね。

何をあきらめきれないのか。
心変わりした恋人をあきらめきれない切ない思いをした人は多いでしょうね。
現在もそんな心境の真っ只中にいらっしゃる人もおいででしょう。

あの時、なぜあの人と別れたんだろうか。今になってあの人のやさしさが分かった。
あんな事を言って別れなければばよかった。
よりによって、こんな人と一緒になって。自分は馬鹿だった。
あの時に戻りたい。とそんなおもいを抱いていらっしゃる人もいるでしょうね。

人生の分かれ道を、右に行ったばっかりに自分の納得できる人生を歩めなかった。
あのときなぜ、左へ足を一踏み出し、その道を進まなかったのか。
後悔先に立たずで、過ぎ去った人生の転機に接し、
自分が下した過去の判断が誤っていたと、老いた今になって
若かったあの頃を、あきらめきれない人もいるでしょう。

物ひとつとっても、使わないと分かっているのに、物にたいするあきらめがつかずに
捨てたらすっきりするのに、しまい込んだり。

満腹なのに、
食べ残したご馳走をあきらめきれずに胃袋に詰め込み、メタボになったり。

まして、自分の命をあきらめろと言っても、
最後の最後まで希望を失わずに生に執着したいですよね。

むしろこれまでは、何事も最後まで諦めるな。
最後まで頑張れ。頑張れ。との教えを受けてきましたよね。


先週末は久しぶりにゆっくり本を読みました。

食わず嫌いかも知れませんが
作り話は、どうも興味を持てずに基本的にノンフィクションしか読みません。

いつ諦めるのか―最期を人間らしく生きるために」 この本は、
著者が医者の立場から、いい諦めができるように病名・病状を告知し、
死に逝く患者、その患者を取り巻く家族の多様な事例を記してあります。

城山町の県立図書館か
鴨池町の市立図書館に行かれましたら書棚を覘いてみてください。


変えることのできないものを受け入れる平静さと
変えるべきものを変える勇気
  


Posted by gonngoetsu at 03:26Comments(2)読書

2009年02月03日

昨日の昼飯

スチームライスに、なまず、ジャガイモ、香辛料の効いた煮豆です。

以前、新宿区の新大久保駅近くの、なまず家、魚福さんで食べた
「ず丼」 の味はわりと淡白な味でした。

人は見かけによらぬもの。なまずも見かけによらぬもの。
見かけとはずいぶんかけ離れた、お上品なお味をしているなと思ったものでした。

昨日食べたなまずは、野性味あふれる、ディープな脂っこい味で
なまずの見かけどおりの味でした。

聞くところによると日本で食べたなまずは、
店主が養殖に成功したとかで、養殖なまず。

ナイジェリアで食べたなまずは大自然で育った、ワイルドな天然物。

食べてる餌の違いか。なまずの種類の違いか。はたまた調理法の違いか。
同じなまずでも、所変われば味変わる別の食感でした。

値段はペプシ込みで、1000円でした。



なまずの頭です。横幅、約20cmです。

From アブジャ (ナイジェリア)
  


2009年01月24日

昨日の昼飯

昨日の昼飯です。
スパイシーなご飯(右)に、エスカルゴ(左上)、
牛足(左下:中骨と表現していいのでしょうか。骨は取り除いてもらいました)

エスカルゴの殻は、大人の握りこぶし程もあるそうです。
中身は調理して、ちぢんでいるはずですが
ナイフで切り分けないと口に入りきらないほど大きいです。

豚足は大好きでよく食べますが、牛足を食べたのは初めてでした。
ゲテモノ大好き人間の小生が期待したとおり
コラーゲンたっぷりで、ねっとりとして、とても美味しかったです。

屋台風の現地飯屋ではなく、ちょっと高級なレストラン風の現地飯屋でしたので
飲み物込みで1200ナイラ(約1000円)でした。


余談ですがゲテモノ食歴から昔話を一言。

牛足ならぬ牛玉を食べたことがあります。
小生が、かごっまに住んでいた頃ですので、20年以上も前の話です。

1個から5~6枚でしょうか。
皿に5~6枚しか乗っかってないと、とても貴重品に見えました。

牛さんの、タマタマスライスの刺身を、
かごっまの黄金通り交差点の赤提灯で食べたことがあります。

なまキンなのに臭みもない、もーもーちゃんのタマスライス1枚を箸でとり
スライスの3分の1に、生姜醤油につけ口に入れる。
美味しく味わいながらも、タマまで食われる牛さんに、
男として同情を禁じえない思いでタマを噛みしめたものです。


華西街は台湾の台北市にある歓楽街です。そこの小汚い屋台で
鶏玉、鶏冠(トサカ)、鶏足を食べたことがあります。

茹でたウズラ卵の殻をむいたような、色形の鶏玉に
塩コショウを振り鉄板で焼いて食べさせてくれました。

ほかほかの鶏玉をほおばり歯でかむと、プチンとはじけ
ジュワッとタマの中身が口中に広がり、それは美味しいものでした。

そう言えば豚さんのタマを、食べたことがないです。
豚玉を噛んでみたいです。

From アブジャ (ナイジェリア)  


2009年01月23日

ホテルの窓から

暑いです。
車もホテルもクーラーを効かしています。

マラリア汚染地帯にやってきました。
アフリカ移動に必要な黄熱病予防接種済みカードは、
有効期間10年の期限切れ寸前ですが、、しっかりと所持しております。

アブジャは以前、首都だったラゴスから18年前に遷都した街です。
片側3車線で広々と整備された道路が多いです。

ラゴスは街としての歴史を感じる雰囲気のある港町です。
それに比べ、アブジャは内陸部の新興都市で、
街としての活気や面白さはラゴス程はなさそうです。

From アブジャ (ナイジェリア)

  


2009年01月22日

チェックアウト

トリポリで宿泊したホテルフロントです。ホテル内は薄暗いです。
スーツケース1個に手荷物1個です。
1月19日朝の午前8:00にホテルをチェックアウトしました。



トリポリ16:00発、ロンドン行きフライト。BA (Airbus A320) 機内です。
がら空きでした。トリポリからロンドンまで約3時間半のフライトでした。  


2009年01月19日

カダフィ大佐 (Colonel Qadhafi)




リビアと言えばこの人でしょう。
街中のあちこちに、カダフィ大佐の大きな肖像画があります。

「砂漠の狂犬」 と呼ばれた
カダフィ大佐が権力を掌握してから、39年が経過したそうです。
国のトップを個人崇拝する国はろくでもない国家が多いですよね。


独裁者ヒトラーのナチスドイツ。
血の粛清者スターリンが率いたソ連がそうであったように。
チャウシェスクが君臨したルーマニアもしかり。

北朝鮮の街中にも、金日成や、金正日の肖像画があるそうですし。
敬愛する将軍様を神格化し、金王朝を不動のものにしようとのもくろみで
歴史書まで神話もどきに捏造するに至っては。


崇拝する側が、指導者の人柄や、
人間性に惚れ込んで自分の自由意志で個人崇拝をするのならまだしも。

権力を持つものが、権力を使い、教育の場等で個人崇拝を誘導・強要し
白紙状態の、いたいけな子供の時期から、すり込むのですから、始末が悪いです。


かって不敬罪と言う法律まで存在した、わが国も
戦前・戦中は現人神 (あらひとがみ) がいたわけでして、
戦争に負けた、戦後の1946年の官報で正式に人間宣言をするまでは
神として個人崇拝を皇民に誘導・強要していたことを考えますと
よその国のことを、笑えないですね。


From トリポリ (リビア)  


2009年01月19日

アッ・サラーイ・ル・ハムラ城

アッ・サラーイ・ル・ハムラ城。別名トリポリ城です。
城内は一部が、ジャマヒリーヤ博物館して公開されています。



トリポリ城の隣にあるスーク(市場)アル・ムシール内にあるお土産屋さんです。
昨日行きました。

観光客が極端に少ないせいか、観光客慣れしていないのでしょう。
ほかの観光地にありがちな、積極的な売り込みはありません。

From トリポリ (リビア)  


2009年01月17日

昨夜の晩飯

トリポリの現地飯屋に行きました。



先ずスープとサラダです。

スープを、たのむとパンも出てきました。
具だくさんのスープで鶏肉、豆、米、香辛料がたっぷりと入っていました。
スープだけて、おなかずっしりと言った感じです。




メインは、鶏のごて焼きです。ポテトが添えてあります。

ご飯は、スチームライスをオーダーしました。
ご飯の中には、豆と羊の内臓肉みたいなのが入っていました。
羊肉のにおいがご飯にしみこんでいますので、それが
気になる人は、食べることはできません。

食事代はミネラルウォーター、ペプシコーラ込みで、600円でした。

From トリポリ (リビア)  


2009年01月12日

チーズバーガー

昨日のランチはチーズバーガーでした。ポテト、コーラーのセットメニューで
3.25リビア・ディナール(LD)でしたので日本円で280円です。

日本で食べるチーズバーガーより一回り大きくお腹いっぱいになりました。

物価は日本より安いです。特に
ガソリンは産油国とはいえ、価格はなんと、1Lが15円です。



トリポリの日中は日差しが強く温度は上昇しますが、明け方は冷えます。
今の季節、朝は暖房が必要です。



                   地中海をバックに。









ホテルの自室に帰りましたら、ベッドメイクしたベッド上に毛布で作った
スネーク (コブラ)でしょうか。かま首をもたげていたので驚きました。
しゃれたリビア人がいたものです。

From トリポリ (リビア)  


2009年01月07日

ホテルの窓から




1月5日の14:20に成田空港発でした。

12時間40分の飛行時間で19:00のローマ着。
3時間30分の待ち時間後の22:30にローマ発のつもりが2時間余計の
5時間30分待たされ、1月6日の深夜0:30ローマ発。
1時間55分の飛行時間で3:25トリポリの空港着。

成田空港からトリポリの空港まで、約20時間の移動でした。


From トリポリ(リビア)  


2009年01月04日

明日、成田空港発

明日、成田空港発で約2ヶ月間、アフリカへ行くことになりました。

2ヶ国に入国します。

ネット接続環境がありましたら、道中や滞在中の写真をUp します。   


2008年12月10日

故郷

4泊、帰省いたしておりました。12月5日の午前11時半に溝辺の空港着でした。
夜の天文館に出ましたが、かごっまの寒さには震えあがりました。
からいも餅と、山形屋まんじゅうをお土産に昨夕、羽田空港着でした。

故郷に帰省しましても、両親とも他界しておりますと
親の喜ぶ顔を見ることもなく

鹿児島在住の友人に会ったとき
友人との会話に、故郷に帰省した実感を感じる今日この頃です。

もう親は迎えてくれませんが、桜島が無言で迎えてくれます。
小学校低学年の頃は、西駅(鹿児島中央駅)裏の自宅前の道路上から
見えていた桜島でした。

夕映えの桜島です。


「兎追ひし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川

夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷(ふるさと)


如何(いか)にいます 父母 恙(つつが)なしや 友がき

雨に風に つけても 思ひ出(い)づる 故郷


志(こころざし)を はたして いつの日にか 帰らん

山は青き 故郷 水は清き 故郷 」



※向田邦子の居住地跡発見



城山下を散策しておりましたら、向田邦子居住跡地の碑がありました。  


Posted by gonngoetsu at 06:53Comments(3)Diary

2008年11月09日

蟻塚(アントヒル)

人の背丈以上の大きさです。

郊外にいかなくても、市内の道路脇で見ることができます。



市内ショッピングセンターで2種類のマンゴーが売っていました。

左側の大きいほうが1個、1580ウガンダ・シリング(約100円)
右側が1650ウガンダ・シリングです。



市内のファーストフード店内です。



乗り合いタクシーはトヨタ・ハイエースです。

バイクタクシーや、自転車タクシーも走っています。


当地は、1000m以上の高地にあり、アフリカとは思えないほど涼しくいい気候です。
今日の朝は肌寒いくらいです。

雨も適当に降り、緑が一杯の風景はなぜか落ち着きます。
農耕民族だそうで、日本人とは相性があいそうです。

人種的にもおだやかな素朴な人が多く、T.P.Oさえ間違えなければ
女性でも街中を一人歩きしても大丈夫です。

夜は、ホテル近くの野外舞台でラッパーが歌い踊ったりしています。
アフリカミュージックやアフリカダンスはエキサイティングです。


From カンパラ(ウガンダ)  


2008年11月08日

マラボー(Marabou Stork)

写真の鳥は名称が2つあり、ハゲコウとかマラボーと言うそうです。

日本の街中でよく見かける鳥は、スズメ、ハト、カラスですよね。
カンパラの街中では、ハゲコウ(マラボー)が
街路灯、街路樹、公園、住宅の屋根等のいたる所にるのが驚きです。




街路灯上のハゲコウ(マラボー)。




街路樹上の巣で子育て中のハゲコウ(マラボー)夫婦。




5~6mまで近づくと、離れます。
背中を丸めて、ゆっくーり、やや大またで歩く後ろ姿には哀愁が漂っています。


この鳥がとても、でかいのです。
身の丈は1m以上はゆうにあり、翼を広げると
両翼間は2mを超えているように見えます。クチバシも怖いくらい長くて太いです。

上空を舞う姿は雄大です。恐竜時代の原始地球上に存在した始祖鳥は、
かくあったのではないか、みたいな感じで舞っています。

この鳥の肉は強酸性で、とてもまずく食べることはできないそうです。

味がまずいと言うことは、誰も相手にせず、捕獲する人がいないのでしょうね。
味のまずさで己の身を守り、それで市街地で繁殖し生き残ってきたのでしょう。

人間社会でも時々、こう言う人がいますよね。煮ても焼いても食えない人が。
味のまずさで己の身を守り、それで会社や集団社会で生き残っている人が。

それも処世術の、一つなんでしょうが、できることならいい味の出せる人間になり、
味のある生き方をしたいですよね。

それにしても、すごい名称ですよね。ハゲコウですよ。
もし、仮にですよ。仮に、ハゲチャビンオヤジ

(すみません、ツルッパゲオヤジの方。ハゲチャビンでも、ズラ等つけて隠さずに、
自信を持って生きて欲しいですね。ユルブリンナーさんなんて
かっこいいじゃないですか。トップモデルの女性でもスキンヘッドがいますし、
ウガンダ人は毎週頭髪を剃るスキンヘッドの人が多いです)

の方から、この鳥の名称を訊かれたら、
ちゅうちょせずに「ハゲコウ」です、なんて口にしづらいですよね。

マラボーもインパクトありですよね。深く考えすぎでしょうか。
「ブラボー」ではないですよ。「マラボー」ですよ。

かごんま地元放送局の
放送禁止用語審査委員会(こう言うのがあるかどうか知りませんが)委員の、
おせっかいな、大きなお世話の、お偉い方が

「ちっとばっかい、まずかこちゃ、ごあはんか」と
言いそうですよね。お茶の間に「マラボー」は。


From カンパラ(ウガンダ)  


2008年11月02日

結婚式

結婚式の記念写真を写していました。ホテルの窓から撮りました。

昨日は、日が良かったのか市内で2つの結婚式を見かけました。


レストランでの披露宴風景です。
会場にはアフリカ風のレゲェ音楽が軽快に響いていました。

From カンパラ(ウガンダ)  


2008年11月02日

カスビ・トーム(Kasubi Tomb)

ブガンダ族の王(カバカ)の墓で、世界遺産だそうです。

何か催しがあったのか、民族衣装をまとった高校生風の一団がいました。

市中心部からタクシーで約20分です。

From カンパラ(ウガンダ)  


2008年11月02日

ナイルの源流(Source of the Nile)

左側がビクトリア湖(Lake Victoria)で右側がナイル川の始まり地点です。

ビクトリア湖は、6万8800平方Km(九州の2倍の面積)もある大湖です。
湖水面積はアフリカ最大。世界でも2番目の大きさです。
最大水深は84m、平均水深は40mだそうです。
ナイルパーチ、ティラピアの漁が行われているそうです。
水に触れると住血吸虫に感染の恐れがあるようです。




湖面を観光舟で20分周遊することができます。



湖岸には、野生の猿が出てきます。



ウガンダに始まり、スーダンからエジプトまで流れる
世界最長6695Kmのナイル川(ホワイト・ナイル)の源流。

ジンジャ(Jinja)はカンパラから約80Kmの場所にあります。

Rrom ジンジャ(ウガンダ)  


2008年10月31日

ホテルの窓から

緑一杯の公園が目の前です。

クーラーいらずの、さわやかな気候です。
当地で4日目の夜を迎えようとしております。

時差は-6時間(日本より6時間遅れ)です。
現在、午後6時42分です。

From カンパラ(ウガンダ)  


2008年10月28日

ホテルの窓から

ホテルの窓から、今回はリアルタイム(今現在)朝の9:20の風景です。

乗り換え便の都合で、南アに昨夕入国し1泊しております。

ヨハネスブルグの空港横のホテルです。殺風景な眺めです。
空港併設の、自走式立体駐車場建築現場が目の前に見えます。

午後2時の便で南アを発ちます。

From ヨハネスブルグ(南アフリカ共和国)  


2008年10月21日

マンゴー

路上の果物屋さんで買ったマンゴーです。
缶ビールと比べてください。
大きくて重たいです。

カラチのマンゴーとは種類が違うようです。
1個700セーファーフラン(CFA)約170円しました。
ホテル前で買ったので高買いしたようです。
安い果物屋さんでは700セーファーフラン出せば2個買えるようです。




アボガドです。

これも
日本で
見かけるものと
比べますと
大きいです。

1個
500セーファーフラン
しました。





From ダカール(セネガル)  


2008年10月16日

ホテルの窓から

ホテル部屋の窓からの風景です。

昨日の深夜3時にホテル着でした。
建物の向う数百メートル先は、大西洋が広がっています。

朝の挨拶が
ボン・ディーアから
ボン・ジュールに変わりました。

From ダカール(セネガル)  


2008年10月16日

マプト国際空港

今回は6度搭乗することになりました南ア航空です。
空港出発ゲートから飛行機まで滑走路を歩きました。

国際線でもマイナー路線になりますと、
機内には小生以外に日本人は見当たりませんでした。


マプトインターナショナルエアポートです。

From マプト(モザンビーク)