2009年03月06日
外交敗北
天文館で冬の忘年同窓会。
吹上浜キャンプ場で、夏の同窓会をするのが高校同窓生の恒例行事でした。
大鍋で米を炊き、カレーを作った8月夏の吹上浜キャンプ場。
昭和43年の卒業以降の10代の終わり、20代の頃、30代の頃、
計10数回は吹上浜でキャンプ場同窓会をしたでしょうか。
31年前の昭和53年(1978年)8月、あの吹上浜に、
ひとさらいが現れたんですよね。
沈む夕陽をバックに愛を語らうデート中の若い二人。
そんなロマンチックな状況の中で、
神隠しにあったみたいに忽然と消えた二人。
あの吹上浜から連れていかれたんですね。
市川修一さん(当時23歳)さんと増元るみ子さん(当時24歳)さん。
家族や周囲の者も、当初は、なにがなんだかわけがわからなかったでしょうね。
小泉訪朝時に、金正日が認めるまで北朝鮮は、
拉致なんてでっち上げだと言ってましたよね。
社民党(社会党)も拉致なんてでっち上げだと言っていませんでしたか。
誘拐、拉致され北朝鮮に連れていかれ、その後どうなっているんでしょうね。
この情報通信の発達した時代に、電話一本の連絡もできないんですよね。
増元さんのお父さんは亡くなれたんですよね。お嬢さんに会いたかったでしょうね。
拉致被害者、なかなか帰国できないですね。
国民を北朝鮮にさらわれ、取り返せない、日本の主権はどうなっているんでしょうね。
もし
セゴさぁが生きていたら、セゴどんの時代だったら。
薩摩藩士が救出に向かったでしょうね。
明治から、大正、昭和、平成と時を経て、情けない国家に成り下がったものです。
著者はテレビコメンテーターとして皆さんご存知の重村智計氏です。
当時報道された小泉訪朝(2002年9月)ニュースの
裏側を知る意味では興味深い本 「外交敗北――日朝首脳会談の真実
」 です。
吹上浜キャンプ場で、夏の同窓会をするのが高校同窓生の恒例行事でした。
大鍋で米を炊き、カレーを作った8月夏の吹上浜キャンプ場。
昭和43年の卒業以降の10代の終わり、20代の頃、30代の頃、
計10数回は吹上浜でキャンプ場同窓会をしたでしょうか。
31年前の昭和53年(1978年)8月、あの吹上浜に、
ひとさらいが現れたんですよね。
沈む夕陽をバックに愛を語らうデート中の若い二人。
そんなロマンチックな状況の中で、
神隠しにあったみたいに忽然と消えた二人。
あの吹上浜から連れていかれたんですね。
市川修一さん(当時23歳)さんと増元るみ子さん(当時24歳)さん。
家族や周囲の者も、当初は、なにがなんだかわけがわからなかったでしょうね。
小泉訪朝時に、金正日が認めるまで北朝鮮は、
拉致なんてでっち上げだと言ってましたよね。
社民党(社会党)も拉致なんてでっち上げだと言っていませんでしたか。
誘拐、拉致され北朝鮮に連れていかれ、その後どうなっているんでしょうね。
この情報通信の発達した時代に、電話一本の連絡もできないんですよね。
増元さんのお父さんは亡くなれたんですよね。お嬢さんに会いたかったでしょうね。
拉致被害者、なかなか帰国できないですね。
国民を北朝鮮にさらわれ、取り返せない、日本の主権はどうなっているんでしょうね。
もし
セゴさぁが生きていたら、セゴどんの時代だったら。
薩摩藩士が救出に向かったでしょうね。
明治から、大正、昭和、平成と時を経て、情けない国家に成り下がったものです。
著者はテレビコメンテーターとして皆さんご存知の重村智計氏です。
当時報道された小泉訪朝(2002年9月)ニュースの
裏側を知る意味では興味深い本 「外交敗北――日朝首脳会談の真実
2009年02月26日
北朝鮮に消えた友と私の物語
あなたの胸に抱かれて わたしの青春は花開くだろう
党の旗 金日成首相の教えにそって
あたたかい祖国の前に 忠誠をつくそう 青春の心臓を捧げよう
「祖国の大地に口づけする」 詩の作者は
1959年12月新潟港から帰国した東京朝鮮高級学校(高校)3年生の崔英子さん。
「地上の楽園」 という宣伝文句を信じ、希望に燃え
北朝鮮に帰国して行った朝鮮人帰国者、帰国者の日本人妻の、その後は、・・・・・。
著者は、1972~1973年の間、
赤旗のピョンヤン特派員として北朝鮮に滞在した人です。
のちに、外信部副部長解任を言い渡されたことにより
赤旗編集局は、1988年12月に辞表を出し退職しています。
この本 「北朝鮮に消えた友と私の物語 (文春文庫)
」 は5年前に読んだのですが、
また手に取ってしまいました。
もし 聖人ばかりの 世界があるとしたら
そこはたぶん 「地獄」 という名で呼ばれるだろう
党の旗 金日成首相の教えにそって
あたたかい祖国の前に 忠誠をつくそう 青春の心臓を捧げよう
「祖国の大地に口づけする」 詩の作者は
1959年12月新潟港から帰国した東京朝鮮高級学校(高校)3年生の崔英子さん。
「地上の楽園」 という宣伝文句を信じ、希望に燃え
北朝鮮に帰国して行った朝鮮人帰国者、帰国者の日本人妻の、その後は、・・・・・。
著者は、1972~1973年の間、
赤旗のピョンヤン特派員として北朝鮮に滞在した人です。
のちに、外信部副部長解任を言い渡されたことにより
赤旗編集局は、1988年12月に辞表を出し退職しています。
この本 「北朝鮮に消えた友と私の物語 (文春文庫)
また手に取ってしまいました。
もし 聖人ばかりの 世界があるとしたら
そこはたぶん 「地獄」 という名で呼ばれるだろう
2009年02月11日
いつ諦めるのか
なかなか、あきらめるって簡単にできることではないですよね。
何をあきらめきれないのか。
心変わりした恋人をあきらめきれない切ない思いをした人は多いでしょうね。
現在もそんな心境の真っ只中にいらっしゃる人もおいででしょう。
あの時、なぜあの人と別れたんだろうか。今になってあの人のやさしさが分かった。
あんな事を言って別れなければばよかった。
よりによって、こんな人と一緒になって。自分は馬鹿だった。
あの時に戻りたい。とそんなおもいを抱いていらっしゃる人もいるでしょうね。
人生の分かれ道を、右に行ったばっかりに自分の納得できる人生を歩めなかった。
あのときなぜ、左へ足を一踏み出し、その道を進まなかったのか。
後悔先に立たずで、過ぎ去った人生の転機に接し、
自分が下した過去の判断が誤っていたと、老いた今になって
若かったあの頃を、あきらめきれない人もいるでしょう。
物ひとつとっても、使わないと分かっているのに、物にたいするあきらめがつかずに
捨てたらすっきりするのに、しまい込んだり。
満腹なのに、
食べ残したご馳走をあきらめきれずに胃袋に詰め込み、メタボになったり。
まして、自分の命をあきらめろと言っても、
最後の最後まで希望を失わずに生に執着したいですよね。
むしろこれまでは、何事も最後まで諦めるな。
最後まで頑張れ。頑張れ。との教えを受けてきましたよね。
先週末は久しぶりにゆっくり本を読みました。
食わず嫌いかも知れませんが
作り話は、どうも興味を持てずに基本的にノンフィクションしか読みません。
「いつ諦めるのか―最期を人間らしく生きるために
」 この本は、
著者が医者の立場から、いい諦めができるように病名・病状を告知し、
死に逝く患者、その患者を取り巻く家族の多様な事例を記してあります。
城山町の県立図書館か
鴨池町の市立図書館に行かれましたら書棚を覘いてみてください。
変えることのできないものを受け入れる平静さと
変えるべきものを変える勇気
何をあきらめきれないのか。
心変わりした恋人をあきらめきれない切ない思いをした人は多いでしょうね。
現在もそんな心境の真っ只中にいらっしゃる人もおいででしょう。
あの時、なぜあの人と別れたんだろうか。今になってあの人のやさしさが分かった。
あんな事を言って別れなければばよかった。
よりによって、こんな人と一緒になって。自分は馬鹿だった。
あの時に戻りたい。とそんなおもいを抱いていらっしゃる人もいるでしょうね。
人生の分かれ道を、右に行ったばっかりに自分の納得できる人生を歩めなかった。
あのときなぜ、左へ足を一踏み出し、その道を進まなかったのか。
後悔先に立たずで、過ぎ去った人生の転機に接し、
自分が下した過去の判断が誤っていたと、老いた今になって
若かったあの頃を、あきらめきれない人もいるでしょう。
物ひとつとっても、使わないと分かっているのに、物にたいするあきらめがつかずに
捨てたらすっきりするのに、しまい込んだり。
満腹なのに、
食べ残したご馳走をあきらめきれずに胃袋に詰め込み、メタボになったり。
まして、自分の命をあきらめろと言っても、
最後の最後まで希望を失わずに生に執着したいですよね。
むしろこれまでは、何事も最後まで諦めるな。
最後まで頑張れ。頑張れ。との教えを受けてきましたよね。
先週末は久しぶりにゆっくり本を読みました。
食わず嫌いかも知れませんが
作り話は、どうも興味を持てずに基本的にノンフィクションしか読みません。
「いつ諦めるのか―最期を人間らしく生きるために
著者が医者の立場から、いい諦めができるように病名・病状を告知し、
死に逝く患者、その患者を取り巻く家族の多様な事例を記してあります。
城山町の県立図書館か
鴨池町の市立図書館に行かれましたら書棚を覘いてみてください。
変えることのできないものを受け入れる平静さと
変えるべきものを変える勇気