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gonngoetsu
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写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
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Posted by チェスト at

2007年05月26日

Don’t

カラチ国際空港を先月2日の23:30発の便で立ち3日20:30成田空港着で
3週間一時帰国しておりました。帰国後、最初にとりました行動は、
温泉に半日おりまして、湯にゆっくり浸ることでした。

以前約10年間住んでおりました、杉並区の善福寺川緑地道や
和田堀公園の、ひょうたん池で満開の桜の花見もできました。

帰国1週間ほど前から目の前にちらついておりました、刺身、寿司、鰻丼、
豚骨ラーメン、お茶漬け、豚丼、カツ丼、トンカツ、とんしゃぶ、カレー、焼き肉、
オムライス、たぬきソバ、天丼等、日本の味はやはりいいですね。

イスラム圏のパキスタンでは豚肉を食べることができませんので、
主に豚肉を中心に食べまくり減少していた体重も5Kgほどもどりました。

以前通っていた英語教室
「English Through the Movies」の授業も
町田市中央公民館で受講することができました。

映画を楽しみながら英会話を学習する教室です。
「聞こえなければ、話せない。
知らなければ、聞こえない!」を学習基本に、
映画を通して生きた日常会話習得の
手助けをしてくれます。

その教材になる映画はケビン・クラインと
シガーニー・ウィーバーが共演した
「デーヴ」でした。
1993年制作のアメリカ映画です。

鹿児島市にも19日から3泊し、高校時代の友人数名と
夜の天文館で話をすることができました。

22日は朝一の便で東京へ戻り、
翌23日の午前11:00発便で成田空港を立ち22:00着でカラチに戻りました。

一時帰国の話なのにカテゴリはエルヴィスになっております、
別に間違った分けではありません。

実は前述の映画「デーヴ」の中で一瞬だけですが、バックにエルヴィスの曲
Don’t が流れる場面があります。
それだけでこの映画制作陣のセンスの良さが分かるというものです。

Don't...Don't...That's what you say
「ダメよ」 「ダメよ」と  君は言う

Each time that I hold you this way
僕が抱きしめるたびに

When I feel like this and I want to kiss you Baby,
僕がこんな気持ちで     君にキスしたいときは

don't say don't
「いや」と言わないで

Don't...Don't...Leave my embrace
僕の抱擁から逃げないで

For here in my arms is your place
君の居場所はこの腕の中なのだから

When the night grows cold and I want to hold you Baby,
夜更けに寒さが増し     君を抱いてあげたいとき

don't say don't
「いや」と言わないで

If you think that this is just a game I'm playing
もしもこれがただのゲームだと思うなら

If you think that I don't mean Every word I'm saying
もしも僕の言うことが全て嘘だと思うなら

Don't...Don't...Don't feel that way
そんなふうに考えないでおくれ

I'm your love and yours I will stay
僕は永遠に君のもの

This you can believe I will never leave you
信じて     決して君を放さない

Heaven knows I won't 
これが嘘じゃないと神様は知っている

Baby, don't say don't please don't
だからベイビーお願いだ「いや」と言わないで  


Posted by gonngoetsu at 00:04Comments(0)エルヴィス

2007年03月07日

ラスベガス万才 No.3

昨日に引き続きまして20年前のベガスの話です。
それでは本文へ。

ベガスでは豪華なショーの楽しみのほかに、もう一つの楽しみがある。
それは食事だ。ほとんどのホテルがビュッフェ形式で食べ放題。コーヒー、ティー、
ジュース類、スープ類が飲み放題で食事代が安い。ホテルで違いはあるが、
朝食$2~$5。ランチ$3~$6。ディナー$4~$7。ステーキ、ローストビーフ、
ポーク角煮、フライドチキン、ハンバーグ、魚揚げ物類、ピザ、グラタン、パスタ、
タコス、メキシカン料理各種、中華料理各種、パン類、各種スープ、各種サラダ、
各種デザート、フルーツ類、海の幸、山の幸がボリュームいっぱい盛ってある。
貧乏旅行の小生でもラスベガスの食事は3食ともリッチな気分を味わった。

ダウンタウンの安宿で朝食を食べるため、近くのストアーへ買い物に行っても、
味が付いている分厚いステーキとサンドイッチが同じ値段だった。
朝食のサンドイッチに伸ばした手だったが、ステーキとサンドイッチが同価格と
理解した手が意志をもったみたいに反応し、迷うことなく分厚いステーキを
シッカリ掴んで離さなかった。朝からステーキを食べたのはあの時が初めてだった。

ロスでは、羅府新報という邦字新聞があり、短い時間だが
日本語のテレビを見る事が出来た。しかしベガスでは13日間まったく日本語に
接しなかった。テレビ画面に大写しになっている墜落したらしい大韓航空の機体と、
猿ぐつわをされて体の側面を支えられ飛行機のタラップを降りてくる
若い女性(金賢姫)のニュース内容が分からずにもどかしい思いをした。

ダウンタウンの安宿は2週間の予約を入れたつもりでいた、ベガス最後の日。
休養を取って寝ていた午前10時頃、部屋のドアを誰かが激しくノックした。
部屋ドアを開けると白人の太ったオバさんが、
早く部屋を出て行け。と言っているように聞こえた。
小生は今日までここに、泊まるんだ。と言ったつもりだったが、
発音が悪いカタカナ英語は聞き取れなかったのかフロントの方へ帰ってしまった。

部屋のテーブル上に置いてある予約表を確認したら予約を入れたつもりの2週間の
最後の日がチェックアウトの欄に書いてあった。確認不足だ。
もう一日延長する方法も考えられたが、大急ぎでバッグに荷物を詰め込み、
急ぎ足で、グレイハウンドバスターミナルへ向かった。
ハリウッド行きのバスは出発したばかりだった。
食事をゆっくり取って、次のバスまでの長い待ち時間をつぶした。

ハリウッドのホテル予約は明日になっていたが、
1日位どうにかなるだろうと思っていた。
グレイハウンドバスはアメリカ西部の荒野を夕陽に向かってひたすら走った。

ホテルを探し出しフロントへたどり着いたのは午後9時を過ぎていた。
フロントにいた中年男は今日は満室で泊められないと言った。
しかたなく、暗くなった夜のハリウッドを歩き
ネオンの一部が切れたホテルの看板見つけそこに飛び込んだ。
バスタブの栓がなかったのでフロントの白人女に言ったら
タオルを丸めて栓の代わりにしてくれるようなホテルだった。・・・・・・・・・。

以上、2日間に渡って20年前のベガス一人旅のレポートでした。
この後、ハリウッドからシスコ、バークレー、マーセド、ヨセミテ、サンディエゴ、
メキシコのティファナへ行き、再びロスに戻り、ホノルル、ソウル、釜山へ行き、
釜山の金海国際空港から
成田空港へ着き、東京へ2泊し1月末の鹿児島空港へ帰り着きました。

その道中話は、機会をみて後日、記すことが出来ればと思っております。  


Posted by gonngoetsu at 00:45Comments(7)エルヴィス

2007年03月06日

ラスベガス万才 No.2

ラスベガスヒルトンです。

このホテルで生前のエルヴィスが
ディナーショーを行っていました。

ステージ衣装、
使用していたギター、
銅像まで展示してありました。


前回に引き続きましてベガスの話です。
最近のベガスはアミューズメントパーク化しておりまして、オコチャマから
お年寄りまで、ファミリーで楽しめるプレイスになっております。
昔は、酒と女とギャンブルの街だったそうです。
その名残が少しばかり残っておりました20年前のベガスの話です。

1987年11月10日午前9時頃、ロスに到着しまして、初日は1泊$50の
フィゲロアホテル、その後は、1週間$90の
ホテルCarver(ホテル加宝)に宿泊しました。「リトル東京」外れにありました
伝説的なホテルCarverの話は後日にゆずるとしまして。
それでは本文へ。

ロスのホテルCarverでの一週間はすぐ過ぎた。
次の目的地、ラスベガスへ行くため、グレイハウンドバスターミナルへ行った。
ベガスへの切符を買わなければならない。切符売り場の窓口で
「ラスベガス、ワンウェイ」 と言い、切符を手に入れ、待ち時間を一寸つぶして
日本のバスより一回り大きいバスに乗り込んだ。

バスが市街地を抜けると、車窓の景色は一変した。昔、テレビや映画で観た
西部劇の荒野そのままの景色が広かった。ベガスまでの所用時間は約6時間だ。
途中2ヵ所、大きめのコンビニみたいな店に15分ほどではあるが停車してくれる。
ハイウェイ走行は、ほとんど揺れもなく快適なバスの旅であった。

ベガスダウンタウンの安宿($100/1週間)へ荷物を置き、トム・ジョーンズの
ディナーショーが行われているバリーズホテルへ向かって歩いた。
ウェールズのプレスリーと言われていたトム・ジョーンズである。
ショーの入場券は、持ってはいなかったが、トム・ジョーンズのーショーは
どんなホテルであるのだろうか。バリーズホテル見に行ったのだった。
ダウンタウンからバリーズホテルまでの距離は歩いてみたらかなりあった。

バリーズホテルへ着いたら、ショーの入場客が行列を作っていた。
並んでいる人の手をみると、券を手に持っていない人もいる。
ひょっとすると当日券が買えるかも。そう思って行列の最後尾に加わってみた。
小生の後ろにも、次々人が並んできた。
後ろの行列が長く延びた頃、行列全体が少しずつ前に動き出した。
ショー会場入り口には、モギリの男が二人いて入場券を確認していた。

「アイ、ドンッ、ハブ、ア、チケッ」 と頭の中で文章を作成したが、口にでた言葉は
「アイハブ、ノーチケッ」 だった。男は笑顔で「OK,OK」とうなずいた。
入場券は、$30だった。券が手にはいるかどうか、ダメ元で行列にならんで、
思いもかけず簡単にビッグスターのショーチケットを手中にして
小生のテンションは一気に高まった。

ディナーショー会場は日本のコンサートホールとは造りが違って扇形の舞台を、
扇形の客席フロアーが取り囲み、客席フロアーはかなり高低差がつけてあり、
どこの客席からも舞台がよく見えるようになっていた。
客席案内係に手渡したチップが、威力を発揮し、正面のいい席だった。

スラリと、よく伸びた脚を網タイツに包んだバニースタイルの娘が、
ひも付き箱を首から下げ、「チョコレイッ&シイガレイッ」と言いながら客席をまわる。
「ナウ、レイディーズ&ジェントゥルマン」 蝶ネクタイの司会者がでてきた。
司会者の後でてきた、男二人のトークショーが30分位あった。時々会場に、
爆笑が起こる。席回りの観客も皆、大笑いしている。
小生はまったく意味が分からずに、
可笑しくないはずなのに、会場の爆笑に誘われ、頬がゆるんでしまう。

トークショーが終わったら、緞帳の向こうから突然、トム・ジョーンズの
ダイナミックな、張りのある歌声が響いてきた。
オープニング曲は「ディライラ」だった。「ドーター・オブ・ダークネス」「「最後の恋」
「ラヴ・ミー・トゥナイト」「ウィズアウト・ラヴ」
思い出のグリーン・グラス」・・・・次々ヒット曲が続く。

トム・ジョーンズのディナーショーが終わり興奮さめやらない小生は
バリーズホテル内をゆっくり歩いてみた。スロットルマシンの
置いてある台数が凄い。カードゲームのプレイ台も何列もならんでいる。

ラウンジショーもやっていた。$1のバドワイザーを飲みながら、
ラウンジショーを観た。カウボーイハットのガンベルトを腰にしたミニスカートの
金髪娘が赤い照明を浴びながら歌っていた。雰囲気がもう最高だった。
昔、中学生の頃、天文館の文化劇場で
エルヴィス・プレスリーとアン・マーグレットの共演した映画
「ラスベガス万才」 を観たが、カウボーイハットの
ガンベルトを腰にしたミニスカートの金髪娘がアン・マーグレットにみえてきた。

バリーズホテルで十分に満足したが、この興奮状態を維持したいというか、
興奮状態をさますのがもったいなくて、ハイテンションのまま、
アラジンホテルへ行って、ブラジリアンショー
「OBA・OBA」 を観てタクシーで安宿へ帰ったのは午前3時だった。

次の日は、インペリアルパレスホテルへ行って伝説スター物まねコンサートを
楽しんだ。エルヴィス・プレスリー。マリリン・モンロー。
ナットキング・コール。等々、本物のステージを観たことがないので、
本物偽物の区別がつかない位、素晴らしかった。

スターダストホテルでは、オランウータンと人間のコメディーショー。
フラミンゴホテルでは、
トップレスに脚線美が売り物のレビューショー「リド・デ・パリ」。
サーカス、サーカスホテルでは、空中ブランコショー。

エルヴィス・プレスリーの出演ホテルだったラスベガスヒルトンでは
ディオンヌ・ワーウィックのディナーショー。ディオンヌ・ワーウィックが
アンコールに応えてラストソング DO YOU KNOW THE WAY TO SAN JOSE を
歌い終わったら客席の全員が立ち上がり、目の位置にあげて伸ばした手で拍手を
送ったのが映画のワンシーンみたいだった。
無骨者の小生も思わず立ち上がり皆の真似して拍手を送った。

連日連夜の豪華なショーも毎日続けるとさすがに疲れた。
ダウンタウンの公園に朝から夕方まで寝転がり、公園で遊ぶ親子連れや、
行き交う人々をぼんやり見て一日をつぶしたこともあった。
Continued.

本日はここまでにしまして、続きは明日ということで。  


Posted by gonngoetsu at 01:46Comments(7)エルヴィス

2007年02月24日

ラスベガス万才



「ラスベガス万才」
この映画も
「ビートルズがやってくる、
ヤァー・ヤァー・ヤァー」 と
同様に中学生の頃に
鹿児島市の繁華街、天文館の
文化劇場で観た映画です。


エルヴィス・プレスリーと
アン・マーグレットが共演し、
歌あり踊りありの恋物語で、
取り立てて、
あらすじがどうこうと
ご説明するような映画ではなく、
内容的には
3流、4流の作品でしょう。



前回はアビーロードについて記しましたので 「アビーロード」 の次になぜ
「ラスベガス万才」 がくるんだ。「アビーロード」 の次は 「レット・イット・ビー」 が
常識だろうが。と、ビートルズファンの方から、お叱りがきそうです。
熱狂的なファンからは、おまえはいったいどっちのファンなんだ。裏切り者、
非国民、態度をはっきりしろと罵られそうですが、小生はビートルズでは、
どうしても満たされないものがあるのです。20世紀の音楽界を代表すると
表現しましても過言ではないビートルズをもってしましても。

洋楽を初めて聴いたのが、パティ・ペイジ、コニー・フランシス等、
アメリカンポップスでした。英語の意味は分からなくても、豊かな国への憧れもあり
洋楽にアメリカの匂いを感じ取ったものでした。そうです。ビートルズは
ブリティッシュの香りはタップリ漂いますが、アメリカの匂いが・・・・いまいち。
その点、キング・オブ・ロックンロールのエルヴィスは
古き良き時代のアメリカの匂いが曲の中に充満しております。エルヴィスの声が、
あの甘い声がアメリカそのものです。そこが小生には、たまらんのです。

2003年の4月は2週間、西海岸へふらっと行きまして、ロスに1週間、
ベガスに1週間おりました。ロスは9年ぶりでしたが、ベガスは16年ぶりでした。
16年前のベガスには2週間おりました。
バブル前のこれから景気が上り坂に向う時期であり、
日本人の団体旅行客がおしかけておりました。16年ぶりのベガスは
前年の9.11テロによる影響を引きずっており
日本人と思われる東洋人には5、6人すれちがった程度でした。

ベガスに1週間滞在中に5回ショーを観ました。まずインペリアルパレスホテルで
レジェンド・イン・コンサート($30)を。早い話が、ものまねショーです。
本物のステージを観たことがありませんので、
迫力のあるステージを観ておりますと、
本物のエルヴィスが歌っているような錯覚に引き込まれます。

2日目は、本物のセリーヌ・ディオン($87.5)の My Heart Will Go On を
シーザースパレスで聴こううかと思ったのですが、
前日ものまねショーでみた偽者のセリーヌ・ディオンで
聴いたことにして、懐メロ路線になりますが、
本物のエンゲルベルト・フンパーディンク($40)をラスベガスヒルトンで。
30年以上前のジャケットのイメージでいきましたがフンパーディンクさんも
年齢を重ねておられました。しかしショーの内容はさすが。
Love Me With All Of Your HeartPlease release me, let me go
The Last Waltz 、A Man Without Love ・・・・・・・

ちなみに16年前はバリーズホテルでトム・ジョーンズ。
ラスベガスヒルトンでディオンヌ・ワーウィック。
これも両方本物で、素晴らしかったの一言。

ベガスにはエルヴィス・インパーソネーター(そっくりさん)が何人もいます。
場末のダウンタウンでワンドリンク付の一時間半、エルヴィスそっくりさんショーを、
$3ぽっきりでやっておりました。観客200人位の演奏はキャリオケ、
もちろんバックダンサーもいないし照明係もおりません。椅子は折り椅子です。
しかし観客のノリのよさ、年をとって涙腺が緩んできたのか
AN AMERICAN TRILOGY(アメリカの祈り)を聴いているうちに胸が熱くなり
涙が出てくる感動もの。そのあと2回、計3回観ました。

小生は一番後ろで目立たなく聴いていたのですがエルヴィスのそっくりさんは
熱心な東洋人がいると思ってくれたのか、毎回、同じ服装でやってくるので
目立ったのか 、IT'S NOW OR NEVER を歌っているとき舞台を降りて
小生の前までやってきました。ジャンプスーツのエルヴィスが
「どげんな、歌わんや」 と言ってマイクを目の前にだしたので最後のフレーズを歌い
観客の拍手までもらった思い出があります。

一時帰国休暇して日本にいるときは毎年1月開催される
「エルヴィス生誕祭」 に行っております。一昨年も楽しめました。小泉前首相が、
大のエルヴィスファンというのは有名な話で、支持率が70%超える絶頂期の頃、
「私の好きなエルヴィス」 という自己選曲のCDを出した程です。

エルヴィスエイジは、我々ビートルズエイジよりも先輩の方々でして、入場者の列を
今時の若者が見ますと靖国神社横の九段会館で催されることもあり、敬老会の
集まりではないかと思われてもしかたのないような雰囲気が、
なきにしもあらずです。しかし、曲によっては老骨に鞭打ち、
ジルバを踊りだす男女まで現れ盛り上がります。もちろん、
初期のファンばかりではなく、今時の若者も集まってきます。
20代から70代超まで、老若男女、
世代を超えた1000名以上が集い会場は青春の熱気でムンムンしていました。

数年前、「ラスベガス万才」のDVDを新宿の紀伊國屋で見つけ、
あまりの懐かしさに買ってしまいました。
今年の8月でエルヴィス没後30年になるそうです。
ELVIS Forever  


Posted by gonngoetsu at 02:26Comments(4)エルヴィス