2014年02月10日
Wat LoiKroh
Wat LoiKroh(ワット・ロイクロ)ワットとは寺院の事です。
宿泊したゲストハウス「GREEN DAYS」から歩いて2~3分です。
歌手のテレサ・テンが亡くなった
チェンマイのMAE PING HOTEL(メービン・ホテル)です。
宿泊したゲストハウス「GREEN DAYS」の窓から写しました。
2014年02月07日
MUAY THAI
写真はMUAY THAI のリングです。
昼間は誰もいません。夜9:30から試合開始です。
料金はリングサイドで400BHT~600BHTです。
2年ぶりのチェンマイでした。
寒い日本を離れ、温泉やタイマッサージで体をほぐしてきました。
1月29日深夜羽田発の便でチェンマイに8泊行ってきました。

昼間は誰もいません。夜9:30から試合開始です。
料金はリングサイドで400BHT~600BHTです。
2年ぶりのチェンマイでした。
寒い日本を離れ、温泉やタイマッサージで体をほぐしてきました。
1月29日深夜羽田発の便でチェンマイに8泊行ってきました。
2012年02月13日
二等寝台列車
チェンマイからバンコクまで列車の旅をしてみました。

チェンマイ、バンコク間756Kmを急行2等寝台列車で
午後3時発、翌午前10時着の所要時間19時間でした。
料金は581バーツ(約1500円)でした。
特急1等寝台列車は所要時間、11時間~13時間だそうです。
1月29日出国、一昨日の2月11日夜、羽田空港帰国で
2週間のタイ旅行でした。

チェンマイ、バンコク間756Kmを急行2等寝台列車で
午後3時発、翌午前10時着の所要時間19時間でした。
料金は581バーツ(約1500円)でした。
特急1等寝台列車は所要時間、11時間~13時間だそうです。
1月29日出国、一昨日の2月11日夜、羽田空港帰国で
2週間のタイ旅行でした。
2007年03月16日
バンコクナイト

新しくはないですが、
リーズナブルな料金で
シングル1泊
5000円弱です。
宿泊客も日本人が多く、
一階で日本食を
食べることができます。
去年6月2泊。
今年1月2泊しました。
先々月の1月末バンコクへ出張しました。
カラチからですとフライト時間は約5時間です。
機中泊を加え3泊4日でした。去年6月出張時のバンコクはじっとしているだけで、
汗べっとりという気候でしたが1月のバンコクは半ズボン、
半袖Tシャツで町歩きをしまして汗ばむことはなく快適な気候でした。
ホテルで目につく日本人はゴルフバックを抱えたリタイヤ後と思われる60代
70代の男性が目につきました。
エレベーターで一緒になった関西弁を喋るオンジョとちょっと話したのですが
3週間位の気ままな滞在ですと言っておりました。
バンコクナイトをすこしばかり報告します。ホテル近くを19時過ぎ頃、
一人で散策しておりましたらご機嫌な音楽が流れてきました。
たまらず、ふらふらとそのライブハウスへ。
俗に言うオールデイズが店内に充満しておりました。椅子にかけたものの、
料金体系が分かりませず内心はビクビクしておりましたが、
ハイネケンやバドワイザーが60バーツですから日本円で180円でした。
店内の客は日本人は小生のみで40代から70代位までの白人男性が主でして
白人男性が連れの白人女性を同伴している人もいました。
客を接待(話し相手、ドリンクサービス)してくれるタイ人女性は10代から
30代位まででしょうか。30人以上はいましたのでかなりにぎやかです。
横の彼女がアルコールをねだってきます。彼女の売り上げになるのか
飲むわ飲むわでトータルで6000円ほど支払いました。
300バーツほど店に支払うと店外デートも可能だと言って店のシステムを説明する
ミニスカートの娘もおりました。
次から次へと懐かしい曲を演奏してくれます。
小生が18歳の頃に天文館の林田ビル地下にありましたロマンスという
ダンスホールの生バンドがよく演奏しておりましたストーンズの「テル・ミー」を
久しぶりに聴きたくなりチップをはずんでリクエストしたのですが、
レバートリーになかったのか
SATISFACTION と HONKY TONK WOMEN を演奏し歌ってくれました。
ビートルズの NO REPLY と DON'T LET ME DOWN ジョンの IMAGINE も
リクエストし演奏して歌ってもらいました。小生のリクエストがきっかけとなり、
バンドの演奏はビートルズナンバーが次々続きます。
気分が乗ってきまして非常にいい心持になりまして、ド素人のくせにずうずうしくも
生バンドをバックにステージ上でエルヴィスになりきりまして
「ラブミー・テンダー」と「明日に架ける橋」を歌ってしまいました。
ライブ終盤になりますと、アップテンポの曲に合わせタイ人女性がステージ前で
踊りだしまして、ノリのいい白人連中もその中に加わります。
益々盛り上がりまして店内の人すべてが参加し踊るアホウに見るアホウというか
「ヨイヤー、ヨイヤサー」というか
「オハラ、ハー」というか「ハンヤー、ハンヤ」というか、踊らにゃソンソンというか、
総踊り状態になりまして、一人ビール片手に白けているわけにもいきませず、
小生も腰振りダンスの輪に加わりまして、見よう見まねで挑戦しかたでした。
殆ど休息なしでふたつのバンドが演奏してくれまして
なつかしの曲を聴いておりますと、時間の経つのも忘れ
閉店の1時まで粘ってしまい翌日も足をはこんでしまいました。
バンコクの夜はタニヤ地区が歓楽街として有名ということで行ってはみましたが、
その通りは日本語の看板があふれており、
一昔前の日本の飲み屋街みたいな雰囲気でした。料金も日本人相手ですと
高そうな気がしまして、一人ということもありドアの向こう側には入りませんでした。
出張後カラチに帰ってからしばらくは
バンコク伊勢丹で買ってきた、納豆が朝食に続きました。
以上、先々月1月末のバンコクナイトでした。