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gonngoetsu
gonngoetsu
写真は死海で         浮かんだときのものです。         関東在住の団塊世代です。 鹿児島市には37歳まで  住んでおりました。      10代の中頃から、      エルヴィスとビートルズを  聴き初め、           いまだに聴いております。
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2010年03月04日

帰国



① ロス空港のワンワールドグループビジネスクラスラウンジです。
② 3月2日正午発JL061便の機体です。
③ 搭乗ゲート前は日本人だらけです。
④ 1回目の機内食です。
⑤ 2回目の機内食です。
⑥ 成田空港のレストランディスプレーを見ているだけで満足です。
⑦ 成田エクスプレスです。
⑧ 新宿駅に着きました。

3月2日正午発JL061便で、11時間45分の飛行時間の後
3月3日午後4時45分成田空港着で帰国しました。

新宿の雑踏を歩き、日本に帰ってきた実感を味わう小生でした。  

Posted by gonngoetsu at 23:55Comments(4)TrackBack(0)Diary

2010年03月03日

ホテルの窓から



10分前の7:30AMに写しました。
昨夜の真夜中にホテルチェックインでした。

このホテルは1月17日も2階にデイユースしました。
今回は3階ですのでホテルの窓からの眺めはちょっと違います。

中南米3カ国 (エルサルバドル、エクアドル、ニカラグア)、6週間の旅を終え
4時間20分後の正午に、ロス空港発の便で成田空港へ向かいます。

From Los Angeles   

2010年02月28日

桜島?

ハイチに続き、チリも大変ですね。
今回の中米の旅では、エルサルバドルで2回、ニカラグアで1回。
体感地震がありました。
中米は、火山国であり、地震国でもあるようです。

マナグア市街地の近くにも、ガスを吐き出しているマサヤ火山があります。
夜、火口をのぞくと、真っ赤に燃えているそうです。



ウンッ? 桜島?
錦江湾に浮かぶ桜島か。
グラナダ桜島 (勝手に命名してしまいました) です。

地球の裏側でこういう風景を目にしますと鹿児島県人は嬉しいですね。
異国で故郷に出会ったような気がします。

ニカラグア湖に面する、モンバッチョ山です。
ニカラグア湖面から写しました。
高さ1345メートルの死火山で頂上まで登ることができるそうです。

鹿児島市もグラナダ市も、ともに歴史ある観光都市です。
標高も同じくらいの、同じような姿をした火山を持つという共通点もありますし。
鹿児島市の姉妹都市候補としてグラナダはどうでしょうかね。

From マナグア&グラナダ (ニカラグア)  

2010年02月28日

今日のランチ

    時差がマイナス15時間ありますので今、2月27日の11:11PMです。



日本人鍼灸師夫婦が当地で鍼灸院を開き
その後、進化発展し政府より大学として認可され
今では、付属病院を併設する東洋医学の医科大学となったそうです。

From マナグア (ニカラグア)  

2010年02月20日

ホテルの窓から


2月15日(月曜日)の
朝4:30にキトのホテルを
チェックアウトしパナマで
飛行機を乗り換え、
同日の午後1:30
ホテルチェックインしました。

日本で言う
夏の陽射しが
照り付けています。


ホテルのプールでは、
朝から泳いでいる人がいます。

夜はいい風が吹き、
Tシャツに
トランクス一枚という格好で
バスタオルを
腹にかけて寝ています。

当地は今、朝の8時です。
左写真は今朝の朝食です。


当地が中南米の旅を締めくくる地と言うか、
これまでの仕事での旅を締めくくる地になりました。

中南米での出会いに、これまでの旅での出会いに
グラシアス(Gracias)& アディオス(Adios)です。

From マナグア (ニカラグア)  

2010年02月14日

パネシージョの丘



①② パネシージョの丘(180m)
La loma del Panecillo に立っている聖母像(30m)です。
スペインで1955年に製作開始され、完成は1975年だそうです。
アルミ製で7000個のピースをボルトナットで組み立ててあります。

③ 聖母像の中の展望台(入場料:$1)から旧市街地を写しました。

④ 旧市街地にあるゴシック様式教会
誓願教会堂 (La Basilica del Voto Nacional) 通称ラ・バシリカです。

⑤ 偶然カーニバルに遭遇しました。高校生風の一団が踊っていました。

⑥ ランチで食べたエクアドル料理です。

⑦⑧ 昨夜のディナーはインデォ&ラテン音楽を聴きながら。

⑨ 伊勢海老の刺身、プリプリして甘みがあって。

⑩ 握り鮨を、お腹一杯いただきました。

From キト (エクアドル)  

2010年02月11日

今日のランチ




From キト (エクアドル)  

2010年02月10日

標高 4100M


標高4100mまで
ロープウェーで上れます。
2005年5月運行開始したそうです。

富士山が標高3776mなので
標高4100mは
日本では体験できない高さです。



ロープウェー乗り場です。
キト市街地から車で15分程です。

行列ができていました。

料金は大人往復8.5ドルです。




標高4100m地点の
ロープウェー下り場です。

乗り場から標高差
約1000mを20分で到着しました。




標高4600mの
ピチンチャ山が見えます。

赤道直下ですが、
冠雪するそうです。






山頂レストランです。








肉を焼く美味しそうな
匂いがしていました。






From キト (エクアドル)  

2010年02月08日

赤道標 (La Mitad Del Mundo)



入場券売場です。

電話 : 2394-806
開館 : 月~木 09:00~18:00
      金~日 09:00~19:00

入場料 : 大人3ドル



高さ30mの赤道標です。

屋上は展望台になっています。

キト市郊外(北北西)約20Kmの
観光名所です。


展望台に上ってみました。
東側を望んでいます。

真ん中道路の
左側が北半球、
東側が南半球です。




西側を向いて
赤道をまたいでみました。

下に小生の靴先が写っています。
左足は南半球
右足は北半球に立っています。



理科の授業みたいな
排水実験をしてくれました。

シンクの水を,赤道の真上で
排水すると渦巻き水流はおこりません。

北半球で排水すると反時計回り、
南半球では時計回りの渦ができました。

From キト (エクアドル)  

2010年02月07日

ホテルの窓から



2月1日の午後2時に空港着でした。905号室からの眺めです。
昨晩はホテルでイタリアンスパゲッティを食べました。

当地で5泊が過ぎ、今日 (2月6日) も暮れようとしております。
日本との時差はマイナス14時間です。

キト市は標高が2850mありまして
酸素が平地の70%しかないそうで、
到着した夜から2日間、軽い高山病にかかりました。

症状は、風邪を引いたような、軽い頭痛、節々の軽い痛み
食欲不振等の症状がでました。

横移動で時差がくるい、垂直移動で体調をくるわせながらの旅をしております。

From キト (エクアドル)  

2010年01月31日

今日のランチ



今日 (1月30日土曜日) のランチです。

①太平洋を望みながら食べたレストランです。
②飲み物は、レモン水シャーベットみたいなものです。
③エビサラダです。
④小魚の素揚げです。
⑤赤貝の刺身です。
⑥生牡蠣です。
⑦ロブスター&白身魚です。
⑧食事の帰りに立ち寄ったアイスクリーム屋さんです。

贅沢なランチでした。



エルサルバドルは火山国であり
地震国でもあるそうで各地に火山が点在しているそうです。
当地に来た18日は、かなり大きく感じた地震があり一瞬緊張しました。
ハイチ地震の件もあり、
道路には建物から非難した人が不安げにしていました。




ホテルからも
すぐ近くに火山が見えます。

休火山で公園になっています。

その
EL BOQUERON NATIONAL PARK へ
行って来ました。










標高は2000M弱。火口の直径1.6Km 。火口のふちから写しました。
すり鉢状の底は深さ558Mだそうです。



公園の遊歩道に
トイレが設置してあります。

排泄物を溜める便槽はなさそうで、
地下浸透ます方式と思われます。
トイレットペーパーや
手洗いの水道設備もありませんでした。
便器は既製品の陶製ではなく、
コンクリートにタイル貼りでした。

可動式の便座はなく、肌の触れる座面はコンクリートです。
管理が行き届いているのか、綺麗に掃除がしてありました。
潔癖症 (不潔恐怖症) の人がここに腰掛けるには、かなり勇気がいりそうです。




SUCHITOTO (スチトト) へ行きました。

サンサルバドル市から北へ44Kmです。

教会前の広場です。




お土産屋さんに、
コマ、
ケンダマの様なもの
ぱちんこ等
懐かしい
おもちゃがならんでいました。








スチトトの人造湖です。





From エルサルバドル  

2010年01月23日

ホテルの窓から

18日の早朝に当地の空港着でした。4泊しホテルで4回目の朝を迎えております。


左写真は先ほど
朝食を食べたテラスから写しました。

標高650~900mの高原都市で、
年平均気温は摂氏23℃
上着なし、昼間は半袖でも大丈夫です。

日中は、ホテル部屋、
車中ともクーラーが効いています。


エルサルバドルとは「救世主」の意味だそうです。

Rrom サンサルバドル (エルサルバドル)  

2010年01月18日

ホテルの窓から


乗り換え便の都合で、空港近くのホテル2階の一室をデイユースしています。

ロスにはめずらしく今、雨 (小雨) が降っています。

今、1月17日の午後2時50分です。

今夜の11時55分発の便でロスを離れます。


From Los Angeles   

2010年01月17日

さくらラウンジ

今、成田空港第2ターミナル、さくらラウンジのPCキーボードをたたいています。

窓の外には、夕日を浴びた銀翼が見えます。
約1時間後の17:15発の便に搭乗します。

中米2カ国、南米1カ国、乗り換え便の都合でロス1泊。
合計4カ国に入国します。

今はとにかく寒い日本を早く脱出し
暖房ではなくクーラーの効いたホテルでくつろぎたい気持ちです。  

Posted by gonngoetsu at 16:11Comments(0)TrackBack(0)Diary

2010年01月14日

自分史 2-7

相変らず寝たきり状態の私にお袋が言った。

「一郎さんに頼んでみようか。」

一郎さんは、鍼灸学校の校長先生をしておられた。
お袋とは遠縁の親戚になる人らしかった。

体が弱かった長兄も小生校の頃、一郎先生に
お灸をしてもらい、体質改善をしたんだとお袋は言った。

お袋と2人で純心学園正門近くの一郎先生宅を訪ねた。
一郎先生は、私の体を診てから治してあげましょうと言われた。

それから月に一回、
一郎先生宅を訪れ、灸点に印を付けてもらい自宅で親父から施灸してもらった。
当初は目立った効果は表れなかったが、他に私の選択肢はなかった。


12月になってすぐの頃、
職場の総務課長と工務課長が私の家を訪ねてきた。

用件は、私に会社を辞めて欲しいと言うことだった。
無理もない話だった。私は辞職に同意した。

カクイわた㈱は在籍20ヵ月の内、半分以上は欠勤していた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
********  今になって、40年前の当時をふりかえりますと


人生に 「もしも」 はありませんが、

あの時、辞職せず、カクイわた㈱で定年まで勤め上げていたら
あの時、あの娘と別れていなければ、
地元の鹿児島で、また違った人生があっただろう、
どんな人生を過ごしたのだろうと、思うことがあります。

カクイわた㈱を辞めた私は、その後勤め先を20回変える
転職20回人生を、歩むことになります。  

2010年01月12日

自分史 2-6

本木下外科に入院以来、鮫島鍼灸院に歩いて通っていたが
左腰から左足にかけての痛みは快方に向かわなかった。
むしろ鮫島鍼灸院に通い始めた頃よりも症状は悪くなってきた。

私は、お灸をしたら痛みは楽になると思っていたので
お灸をしても痛みが増してくる状況には途方にくれた。

7月に入ってから益々症状が悪くなった。
まず歩けなくなった。10M位歩くと立っていられない。
その場にしゃがみ込んで痛みをこらえる。

一息ついて10M歩くと又その場にしゃがみ込んで痛みをこらえる。
といった具合である。歩けないので鮫島鍼灸院に通えなくなった。

一度に歩ける距離も10Mから8M。8Mから6Mと短くなってきた。

こういう症状を医学用語では間欠性跛行症と言う。真っ直ぐに立つことができない。
体が健側の右に湾曲するのだ。
かなり前から前屈はできなかったが、頭を前傾しただけで左腰から左足にかけて
激しい痛みが走る。

痛みで思いっきりクシャミができない。
ゆっくりと時間をかけて体を動かさないと寝返りもできない。
左側を下し、体をくの字に曲げて寝るのが一番楽な姿勢だった。
仰向けに寝た姿勢では起き上がれなかった。

起き上がる時はまず、左側を下にして
両膝を曲げ、両手で体を支えゆっくり時間をかけてしゃがむ姿勢になり
それから立ち上がるといった具合だった。

私はこのまま症状が進むと寝たきり状態で動けなくなると思った。
本木下外科で寝たきりになるわけにはいかない。
医者も私の症状には手をこまねいていただけだった。
私は院長に退院を申し出た。
7月末のことだった。

それまでは、それなりに順調にきた私の人生の最大のピンチだった。
今後の展望が開けない。夢も希望もないお先真っ暗だった。

8月は自宅で寝たきり状態で過ごした。

E子からは手紙がくるが勿論会いに行ける状態ではない。
E子から又手紙がきた。
体の痛みで女の子と付き合えるような精神状態ではなかった。
ハッキリさせないといけないと思った。
9月になって痛む体をタクシーに乗せ別れを告げにE子のアパートまで行った。  

2010年01月10日

自分史 2-5

入院していると時間はたっぷりある。
私も何か一つくらい資格に挑戦しょうと思って考えた。

工業高校は機械科卒である。
機械科卒に関連する資格に、ボイラー技士がある。

高校機械科卒だと1級、2級ある免許の2級を持っていなくても
一足飛びに1級の受験資格があった。そこで1級ボイラー技士に的をしぼった。

職場のカクイわた㈱工場に大きなボイラーが設置してあり
職場のボイラー技士とも気安く声をかけてもらったりしていた。

職場にボイラーが設置してあり、職場にボイラー技士がいたことで
免許申請書に添付する必要書類はなんとかなったが
試験日まで時間がない。

専門用語は良くわからない。
ゆっくり解説書を読むゆとりはなかった。

そこで簡単な問題集1冊。難しい問題集1冊。
この2冊の出題パターンを、病院のベッドの上で頭に叩き込んだ。

ベッド上で勉強に集中できたおかげで
1級ボイラー技士免許証は6月末に交付された。  

2010年01月08日

自分史 2-4

昭和44年(1969年)になった。

高校卒業までは
毎日学校帰りに立ち寄って治療してもらっていた薬師町の鮫島鍼灸院に
社会人になってから時間の都合がつかずに通わなかった。

それで、それまで痛いながらも安定していた左腰、左足の痛みが又、
だんだんと悪化していくのが分かっていた。

仕事でも時には痛いのを我慢して重い物を持ったりしなければならない。
益々、左腰、左足の痛みは激しくなった。

10分間立っていると
左腰から左足にかけての痛みに我慢できずしゃがみ込んでしまう。
もう限界だった。もう仕事はできない。
私は考えた。病院では私の病気は治らない。
しかし、会社を長期欠勤するには医者の診断書が必要だ。
病院はどこでもよかった。
とにかく病院に入院して病院から薬師町の鮫島鍼灸院に通えばいいと。

この年の春
鮫島鍼灸院に歩いて通える西田橋西側にある本木下外科へ診察に行った。
医者は私の症状を診て、即入院を勧めた。
本木下外科での治療も
田平整形外科、白石整形外科の治療と同じく私には何の効果もなかった。
本木下外科から鮫島鍼灸院へ再び通うことになった。

この頃、クールファイブの 「長崎は今日も雨だった」 が大ヒットした。

私より遅れてE子が盲腸炎で入院してきた。
E子はデパート勤めをしていた。E子は私が付き合った3人目の女性になった。
やさしくて、よく気がつく娘だった。
私はE子が退院してからも、
週2回程は病院を抜け出しE子のアパートへ泊りに行った。  

2010年01月06日

自分史 2-3

3ヵ月間の入院で退院し、職場復帰した私は、工務課に復職した。

9月になって○美が鹿児島に帰って来ていると私の友人に聞いた。
東千石町のダンスホール 「フロリダ」 で踊っていたのを見かけたらしい。

○美は天文館電停前の靴屋 「ニューY屋」 で働いているらしかった。
数日後、私は○美の職場へ思いきって電話をしてみた。
○美は意外にも私の電話を喜んでくれた。
再会の約束をした私は、当日夜、約10ヵ月ぶりに○美にあった。
約10ヵ月前に別れた時は、おさげ髪だったのが
パーマのショートヘアーになっていた。

当時流行っていた同伴喫茶店に行ったりカウンターでお酒を飲んだりして
照国町のホテル 「ふじ」 へ一緒に行った。
この時、私はまだ童貞だった。

それから、再び付き合えるつもりでいたが、○美には私より本命の彼氏がいた。
林田ビル地階のダンスホール 「ロマンス」 でエレキギターを弾いている男だった。


鹿児島市の秋の終わりを告げるおはら祭り
職場からも踊り連が参加し
私も白足袋で
流れる音楽に調子を合わせ終点の照国神社まで同僚達の中に混ざった。

おはら祭りがきっかけになって宣伝課のM子と親しくなり暫く付き合った。
M子は私より一つ年上で性格は陽気で積極的で快活な女性だった。
デート場所は、夜の天文館。ショットバー 「ボンド」 へよく通った。

普通自動車の運転免許証は田上自動車学校でこの年の暮に取得した。
入学から実技試験合格まで40日。費用は20.000円弱だった。  

2010年01月04日

自分史 2-2

入社して3日目だった。
米山さんと500Kg程の丸い鉄柱を地面を這わせて移動中
右足の甲を地面と丸い鉄柱の間に挟んでしまった。

次の日は、鴨池動物園横の阿久根病院のベッド上にいた。
右足の甲骨にヒビが入ったのだった。

阿久根病院へは会社の人が車で連れてきてくれた。
院長の父親は私の親父と昔、戦地で一緒だったらしい。
親父の話では、院長の父親は戦後、養豚で儲かった人らしい。

残飯をもらって餌代をかけずに豚を大きくし
当時としては効率の良い利殖だったのだろう。

阿久根病院では2人部屋で先客は国立鹿児島大学農学部のY教授だった。
ひっきりなしに、鹿大の学生が見舞いにやってきた。
私が入院して幾日か過ぎたある日、Y教授と雑談していたら
私の出身高校を訊ねてきた。

私は県立鹿工ですと返事した。
するとY教授は、「君は大学にいく気はないか」 と言った。
私が生返事をしていたら、
「学部がどこでもよければ明治大学へ入れてあげられるのだけど」 と言った。

しかし勿論ただではない。裏金が30万円必要だと言った。
世間で聞いている裏口入学の相場からするとかなり安かった。
それでも、私の初任給は月給で19.800円だった。
裏口入学するには月給の15倍強が必要だった。
聞き過ごすしかなかった。

初月給の19.800円は入社して3日間しか出社していない私にも
労災保険で満額支払われた。
係長がベッドの上まで給料袋を持ってきてくれた。
その中から、3.000円を食費として母親に渡し、弟には小遣いを1.000円渡した。

しばらくすると、Y教授は退院していった。
Y教授のあと、入院してきたのは清水さん。
50才代で夫婦仲の良い人だった。奥さんがよくベッドの回りをウロウロしていた。

清水さんは、錦江湾内の運搬船の船長をしており串木野出身の人だった。
清水さんとの雑談の中では、和吉お祖父さんの話がでてきた。
和吉お祖父さんを知っていると言うのだ。

清水さんの話では、お祖父さんは人一倍の働き者で持ち舟を毎日一人で砂地に
押し上げるくらいに、舟を大切に使っていたらしい。  

2009年12月30日

自分史 2-1

高校を卒業した私の就職先は、現在のカクイ㈱、
私が就職した時はカクイわた㈱、
その前は、山形屋産業㈴、
明治14年の創業時は山形屋綿店と言う商号だった。

1968年3月、カクイわた㈱へ入社。工務課へ配属。
工務課は電気業界の司法試験と言われるくらい難関の
電験1種の資格を持った川野課長。

工業高校大先輩の浜川係長。
同じく工業高校先輩である八反田さん、米山さん。
それに女子事務員の長野さん。この5人だけだった。

カクイわた㈱の唐湊の工場は敷地が広くて工員も大勢いた。
工場の製綿機をはじめ、
各種設備機器の保守点検をする要員はそれぞれの部署へ配置されていて、
工務課の仕事は工場の電気、機械の統括管理、
製綿設備機器の開発みたいな仕事だった。

私が入社した頃、
浜川係長が取り組んでいたのは脱脂綿とガーゼを別々のラインから流して
浜川係長が考案した装置を通り抜けると
自動的にガーゼが脱脂綿を包み込んで装置から出てくる仕組みの
試行錯誤を繰り返していた。

工務課は事務所の他に
作業場を持っていて、作業場にはボール盤、グラインダー、電気溶接機、
ガス溶接切断用の酸素ボンベ、アセチレンボンベ。
万力の付いている作業台。旋盤等、鉄工所みたいな機器一式がそろっていた。  

2009年12月09日

JALラウンジ

今、ロス国際空港の
JALファーストクラスラウンジで
PCのキーボードをたたいています。

50分後の
午前11:50に
ロス発、成田行きに搭乗します。

From Los Angeles  

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2009年12月09日

ホテルの窓から

現地時間12月8日今朝の6:30 (日本時間は夜の11:30) に写しました。
空港ホテルなので滑走路等、空港施設が目の前です。

昨夜の11:00にロスの空港着でした。

ロスは2003 年の4月にプライベート旅行にきて以来です。

小生の大好きなロスですが、
今日は4時間半後の、午前11:50に空港発ですので
ダウンタウンに行くことはできません。

日本までの飛行時間は12時間で12月9日、
午後4:50に成田空港着予定です。






ホテルのローカに
飾ってありました
クリスマスツリーです。







From Los Angeles  

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2009年11月30日

モンセラーテの丘(CERRO DE MONSERRATE)

富士山8合目と同じ位の
標高3、160mに
建っている
白亜のカトリック寺院。

頂上まで
ケーブルカーを利用できます。

昨日行きました。



丘から見下ろすボゴタ市内。


赤道に近いせいか、

標高のわりに山頂も緑が一杯です。



ボゴタ市街オフィス地区は
整然と区画され
清潔な印象です。

住宅街は
煉瓦造りの家が立ち並び
コロニアル様式の美しい町並みです。






宿泊している
ホテルロビーに
飾ってあるツリーです。


当地は標高が高いですが
ホワイトクリスマスはないそうです。




From ボゴタ(コロンビア)  

2009年11月25日

ホテルの窓から


5階の部屋から写しました。

当地に来て2回目の朝を迎えております。

人口は800万人と言うことですが、市の面積は国後島と同じだそうで
見た目の人口密度も800万都市の割にはゆったりしています。

マレーシアと同じ緯度らしいですが、当地は海抜2.600mの高地ですので
さわやかな気候です。現在、半そで、長そで、が混在しています。 

From ボゴタ(コロンビア)  

2009年11月17日

イグアスの滝




昨日
11月15日(日)行ってきました。

滝の発する
サウンドを
お聞かせできないのが
残念です。  

2009年11月17日

福岡旅館

ストリート標識の後方建物が
福岡旅館です。
一昨日の
11月14日(土)に一泊しました。
開業後20年以上が経過したそうです。
一泊、朝食込みで
120.000グァラニー
(約2,400円)です。
FAX:0632-20624

「旅館の窓から」                 部屋入口の椅子に掛けて庭を。
旅館と言っても部屋はホテル形式でした。



地球の真裏 (日本を基準にすると) の
旅館で食べる朝食です。

納豆も付いて
美味しい朝ご飯でした。

福岡旅館の所在は、パラグアイの
イグアス( YGUAZU )移住地です。


旅館の看板は出ておりません。
どこから聞きつけてくるのか日本の若者チャリダーが
エッチラオッチラ、ペタルをこいでやってくるそうです。

女性ライダーが1人でやってきたのには、
女将さんも驚いたそうです。豪傑がいたものです。

日本からイグアス入植は比較的新しく1961年から始まったそうです。

2000世帯の入植者予定でスタートしたそうです。
日本が高度成長時代に入ると、移住者が激減し、
1972年までの入植者は238世帯に留まり、80年代になりますと、
天候による不作が原因で離農者が続き、繁栄した日本へ帰る人たちもいて
現在の日系移住者世帯数は、90世帯だそうです。



土俵です。

日本語学校の校庭にありました。

左後方に校舎が見えます。

生徒数は100名以上いるそうです。


 給水塔です。                   マーケットです。  

2009年11月11日

ホテルの窓から


今朝 (11月10日) 写しました。

昨日11月9日 (月) 夜の12時少し前にホテルチェックインしました。
人口52万人の首都、アスンシオン市街が一望です。

市街地の向こうにパラグアイ川が流れていまして
地平線のグリーンはアルゼンチン領です。
撮影場所(ホテル)から国境まで目測で約2K程でしょうか。

From アスンシオン (パラグアイ)  

2009年11月11日

Don't cry for me argentinaan

リオで宿泊した部屋です。11月9日(月)朝8時にチェックアウトしました。


リオ国際空港チェックインカウンター前です。PZ700便(A320)機内です。
午前11時半に離陸でした。
リオからブエノスアイレスへ所要時間約3時間半でした。


11月9日(月)夕7時半、
ブエノスアイレスの国際空港に
駐機している機体に沈む夕陽です。
ブエノスアイレスに沈む夕陽。
絵になります。
アルゼンチンタンゴの有名な当地ですが、
ブエノスアイレスに沈む夕陽には
Don't cry for me argentina
この曲が合いそうです。  

2009年11月02日

イパネマの娘

イパネマビーチ(2.2Km)です。今日(11月1日)ぶらついてみました。

日本は、かごんまは、寒いのでしょうね。
当ビーチは紐みたいな水着のイパネマの娘が惜しげもなくナイスバディを
披露してくれるので、視線が定まりません。オジサン大喜びです。


イパネマ地区は
高級住宅街で、
裏通りには高級ブティックや
レストランが並んでいます。

富裕層の生活する
洗練されたエリアだそうです。
街をかっ歩するのはもちろん
イパネマの娘


From リオデジャネイロ (ブラジル)