< 2024年05月 >
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
プロフィール
gonngoetsu
gonngoetsu
写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 11人
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE

2007年07月15日

墓参り

1957年

親父は2日がかりで行く年2回の墓参りは毎年欠かさなかった。

大きな風呂敷包みを両手に持ち、弟、次兄、私を連れて朝早く西駅へ向かう。
風呂敷包みの中には、親類へ配る品々が包装紙に包まれ幾つも入っている。

歩いて西駅に行き高架になって線路を跨いでいる屋根付きの歩道橋から
ホームへ降りると、蒸気機関車が上からは真っ黒い煙をモクモク吐き出し、
下からは真っ白い水蒸気を勢いよく出している。

石炭の燃えるニオイを鼻で嗅ぎ、汽笛を耳で聞きながら鹿児島本線を北上すると、
線路の左右に広がる景色が一変する。

家々の屋根が瓦葺きから勾配がきつくて分厚い藁葺き屋根に変わってくる。
小さい藁葺き屋根は牛小屋だろう。冬の墓参りは正月の2日と3日になる。
家々の日の丸が、次々目に飛び込んでくる。

収穫の終わった田圃の切り株が、規則正しく並んでいる。
段々畑の土手も枯れて黄色くなっている。

墓参り初日は、日置郡永吉村にある海岸の松林の中にある墓へ行く。
伊集院駅で永吉駅までの切符を買い、国鉄から南薩鉄道に乗り換え乗り移る。
南薩鉄道車両は国鉄車両より一回り小さくなる。

永吉村の墓参りを終えたら次は、日置駅で降り米吉伯父さんの家へ向かう。
正月だからお年玉を出してくれるが、3人とも受け取らない。まず最初は遠慮する。
更に先方は、受け取れとのし袋を目の前に出す。
本当は欲しくてたまらないのに、それでも我慢して受け取らない。
先方がのし袋を手にして我々とのやり取りが続く。

頃合いをみて親父が
「それでは頂いておきなさい」と言う。すべて打合せどおりである。
前もって親父が我々に言って聞かすのだった。お年玉をもらうにあたっての心得を。
まず最初は遠慮して受け取るな。更に勧められてもまだ受け取るなと。

我々3人は忠実にそれを実行するのであった。
目の前に餌を置かれたお腹の空いた犬が、飼い主からお預けを言いわたされ
ヨダレを垂らしている状態の我々だった。
のし袋の中には100円札が1枚入っていた。

米吉伯父さんの家は行くのが実に楽しかった。
何が楽しいかと言うと、母屋の前庭の立ち木に山羊、ヒツジを繋いでいる。
裏庭には大きな鶏小屋があり鶏、チャボが羽をばたつかせている。
親豚子豚も数匹鼻を鳴らしている。

牛小屋に行くと牛の親子がいる。
大きい目でこちらを見ながら時々鼻の穴を自分の舌で舐めたりしている。
牛をこんなに近くで見るのは初めてだ。
牛が美味しそうに干し草を噛みつぶす音が耳に心地よい。
牛小屋に30分いても退屈しない。

7歳の私にとって、米吉伯父さんの家は動物園みたいだった。

昼食時に出してくれる自分の田圃で作ったお米を炊いたご飯が最高にうまい。
自宅でいつも食べているご飯とはあきらかに味が違っていた。
ご飯があんなに美味しい物だったとは、オカズなしで幾らでもお腹に入っていった。


同じカテゴリー(自分史(高校卒業迄))の記事画像
7ツ島
同じカテゴリー(自分史(高校卒業迄))の記事
 串木野村下名 (2007-08-16 00:06)
 市来町湊町 (2007-08-14 00:04)
 高校3年生(Ⅱ) (2007-08-12 00:12)
 高校3年生 (2007-08-10 00:10)
 高校2年生 (2007-08-08 00:08)
 高校1年生 (2007-08-06 00:06)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
墓参り
    コメント(0)