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gonngoetsu
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写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
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2007年08月06日

高校1年生

1966年

セイコー17石、針先と文字盤に蛍光塗料が塗ってあって、
夜でも時間が分かる手巻きの腕時計。長兄から高校入学祝いが届いた。

鹿工は機械科へ入学した。
高校3年間担任は南先生、副担任は上國料先生だった。
高校入学を期に、体力造りと小遣い稼ぎを兼ね新聞配達を始めた。

秋の日の校庭で、体育教師がまだこない授業前、
ラグビーボールを、前方上に思い切り蹴り上げた。

ボールの落下地点に、落下してくるボールを見ながら走った。
そこで凄い衝撃を感じた。左足が膝を頂点に、逆くの字に曲がったみたいだった。

同級生が私の蹴り上げたボールを取りにボールの落下地点に走ってきていたのだ。
それを知らずにボールの落下地点でおもいっきりぶつかったのだった。
立て膝状態の私の膝に、同級生の体が食い込んだような気がした。

校庭に倒れ込んだ私は、しばらく起きあがれなかった。

この事があってから数日後、朝起きると左股関節の内部というか、
左臀部の内部というか、左腰部の内部というか、
とにかく左足の上部から左腰にかけて何か違和感を感じるようになった。
この違和感はほんの少しずつではあるが、だんだん強まっていった。

両親に相談したら、加治屋町の田平病院へ行くように進めてくれた。
治療法は牽引と言って、腰に重りの付いた皮の帯状ベルトを巻きベッドに寝て、
重りの力で腰を引っ張るのだ。
赤外線を当てたり、腰椎脇に痛め止めの筋肉注射をするぐらいで、
全く治療効果はなかった。長く通院したが一向によくならない。

西駅前の白坂整形外科にも行った。
ここでは石膏で腰回りの型をとり、コルセットを作らされた。
マイクロ波というのもかけた。しかし症状はだんだん悪くなって行く一方だった。

医者の付ける病名は、椎間板ヘルニアによる座骨神経痛と言っていた。
1年以上整形外科に通っているのに、だんだん悪くなって痛みも増していく現実に
医者では治らないのではと思った。

健康だけがとりえだったが、
所属していたバレーボール部を辞め、新聞配達も辞めるしかなかった。

両親がお灸がいいのではと、勧めてくれたことがあったが、相手にしなかった。
頭のいい医者が治せない病気が、
非科学的なお灸で、治る分けがないと思っていた。
その頃お灸は、迷信か、まじないと同じ部類に考えていた。

しかし、だんだん悪くなって痛みが増してくる症状に、
駄目もとで、お灸をしてみようと思い近所の鍼灸院へ通ったが、
そこでは効果がなかった。お袋が薬師町の鍼灸院の評判がいいと教えてくれた。
そこには、高校の帰り道立ち寄ってお灸をしてもらった。

腰、臀部、両足に半米粒大にしたモグサを乗せて、線香で火をつけるのだ。
火が熱くて痛くてたまらなかったが、我慢して半信半疑ながら続けてみた。
すると症状が好転するほどではなかったが、
それまで少しずつ悪化していた症状が、現状維持というか、
症状の進行が止まったように感じた。

薬師町の鍼灸院には、高校卒業まで通った。
病院へ通い、鍼灸院へ通うようになったのは学校内の事故である。
本来であれば、治療費は官費補償が使えるはずである。
担任の南先生に事情を話したことがあったが、
南先生はタバコを吸いながら難しい顔をして聞いていただけであった。

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