< 2024年05月 >
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
プロフィール
gonngoetsu
gonngoetsu
写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 11人
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE

2007年08月10日

高校3年生

1968年

友人の一人が週末、自宅隣接会社の、宿直業務のアルバイトをしていた。
友人が一人で泊まる宿直室に、毎週1回土曜日の夜、私も泊まりに行っていた。

宿直室は6畳と4.5畳に簡単な流し台が付いており、
6畳間にはコタツも電気ストーブもあった。
家具調の大きなステレオも置いてあり、事務所の電話まで使える便利さだった。

大人のいない高校生だけの夜の宿直室は、
我々には、日頃のストレスを発散できる解放区だった。

材料を持ち寄り、ステレオを聴きながらすき焼きパーティをしたり
飲酒、喫煙、少額のお金を賭けて花札賭博。

谷山にある私立高校の生徒が関西方面に家出したときは、
宿直室が中継基地になった。
時には 「宿直室を彼女と利用したい」 と言うのが現れたりして、
我々邪魔者は、駅前の西駅東映で時間潰しをしたこともあった。

遠方からもホンダCB250 (バイク) に乗り、色々な高校の生徒が出入りした。

その日は、市立の鹿商を卒業した1年先輩と他に、
高校生が4人で土曜日の夜を楽しんでいた。

12時を過ぎても眠れない我々は、隣のアパートを覗いてみようと言う話になった。
先程からアパート2階で男女の話し声が、ボソボソ聞こえてくるのだ。

大人のオトコとオンナのすることに、興味一杯の我々はブレーキが利かない。
私も板塀の上に乗り、背伸びして窓の中を覗いたが真っ暗で何も見えない。
先輩が板塀に乗ってきたとき、要領が悪かったのか大きな音を立てた。

その音に、アパート2階の男女が気づいてなにやら話をしている。
耳を澄ますと男の声で、学校とか、警察とか聞こえてきた。

我々はとりあえず謝ろうと話し合い、先輩が窓下に行き上を見上げ声を掛けた。
その瞬間、怒鳴り声と共に、しぶきを上げ何か飛んできた。

曲げた竹の根で取っ手をつけた大きめの土瓶が、冷えたお茶の入ったまま
アパート2階の窓から飛んできたのだ。

土瓶は逃げようとした先輩の後頭部を直撃した。
「殺さるっドォー」 先輩の発した言葉である。

後は皆、蜘蛛の子を散らすように逃げた。
気が付いたら宿直室隣の民家床下に1人でいた。

足はハダシである。
皆、どこへ逃げたのだろうか。
そんなことを考えながら、1人床下に身を潜め辺りの様子を窺っていたら、
パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。

こんな真夜中に何事だろうかと思っていたら、
サイレンの音はだんだん大きくなってきた。

おびえたカメが甲羅からソッと首を出すような感じで、
床下からソッを首を出してみたら、宿直室の前でパトカーの赤色灯が回っていた。
警察官の姿も数人見えた。

観念した私は床下から出て行った。
パトカーに乗せられ、西駅前の交番へ連れていかれ、交番の裏部屋で事情聴取。
土瓶を投げつけた男も傷害容疑で事情聴取を受けていた。

事情聴取が終わり裏部屋から表側にきたら、親父が椅子に座って待っていた。
交番を親父と一緒に出たときには、日曜日の夜明け前の朝空は白み始めていた。

土瓶の後頭部直撃を受けた先輩は、後頭部からの出血で
頭、肩、背中を血だらけにしながら1人で近くの藤野外科へ
ハダシのまま駆け込んだのである。藤野外科からの連絡でパトカーが来たのだ。

同じカテゴリー(自分史(高校卒業迄))の記事画像
7ツ島
同じカテゴリー(自分史(高校卒業迄))の記事
 串木野村下名 (2007-08-16 00:06)
 市来町湊町 (2007-08-14 00:04)
 高校3年生(Ⅱ) (2007-08-12 00:12)
 高校2年生 (2007-08-08 00:08)
 高校1年生 (2007-08-06 00:06)
 中学3年生 (2007-08-02 00:02)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
高校3年生
    コメント(0)