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gonngoetsu
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写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
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2007年07月07日

三つ子の魂 百まで

1953年

まだ武幼稚園が開園していなかったので、次兄は武保育園に1年間通った。

ある日、すごい雨が降ってきたそうである。
雨で帰れずに、お袋を待っている次兄を迎えにいかなければならない。

お袋はすごい雨の中、私を連れて行くことができずに1人で傘を持って
武保育園まで行ったそうだ。

ますます雨ははげしくたたきつけ雷まで光ったあと、大きな音を響かすことを
繰り返したらしい。

お袋が次兄の手を引き急ぎ足で家に帰り着いてみると
お袋が出かけたとき座っていた同じ場所に
稲光の中で泣かずにチョコンと座っていたらしい。

この話は、お袋から何度も聞かされたが私の記憶にはない。

雨模様のある日、家並びの町田さん宅となりの空き地の道路上に次兄と私、それに
お祖父さんの3人でいた。そこには生垣の竹が繁っていた。

お祖父さんは、繁った竹から器用に笹舟と竹笛を作ってくれた。
その後雨が降ってきたので急いで家に帰ったのを覚えている。

母方の祖父、金治は私が3才のとき亡くなっている。
父方の祖父、和吉は私が2才のときなくなっている。
田舎の市来町から娘の家に遊びにきた、
金治お祖父さんが孫2人の相手をしてくれたのだろう。

グリコのキャラメルに付いてくるオマケの小さなオモチャを飲み込んで
目を白黒している私の口に、お袋が指を入れ取ってくれたときの
「オエーッ」とくる感じも覚えている。

私が産まれたときには既に、お袋は小さな食料品店を商っていた。
まだ動かない頃はよかったが
赤ん坊がハイハイをしだすと、店の客と赤ん坊の両方に対応するのは大変だ。
赤ん坊の腰に紐を結び紐の端を柱に結び、
赤ん坊が縁側から庭に落ちないようにして、客の相手をしていたと言っていた。

次兄の子守は長兄がしたと言っていた。
私の子守は西隣の娘がしてくれた。それで女言葉がすり込まれてしまった。
女言葉が抜けずに困った記憶がある。

長兄は昭和27年12月鹿屋の職場に就職している。
私が2才になる1ヶ月前のことだ。さすがにこの頃の長兄の記憶はない。
しかし家族4人で鹿屋の長兄を訪ねて行ったことは覚えている。
オモチャの刀を買ってもらったこと。職場のトラックだったのだろうか
荷台に抱き上げて乗っけてもらったことも覚えている。

幼い頃の記憶をたどってみると、どうやら3才が限度のようだ。

「三つ子の魂、百まで」とはよく言ったものだ。

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