2007年08月26日
1982年(Ⅴ)
福岡から4人、宮崎から3人、東坂元から2人、真砂から2人。
皆、それぞれの場所から鴨池町の私の家を目指して集まってくれた。
刺身、雑煮、昆布巻き。かしわと人参ゴボウ大根の煮付け。ちらし寿司、
サラダ、それにロースハム、薩摩揚げ、サラミソーセージも大皿に盛ってある。
お腹の大きい女房を気遣い、皆で料理を2階にはこんでくれた。
コタツを2つ並べた食卓は、正月の匂いでいっぱいだ。
親父が年頭にあたり、教訓めいた話をしたあと、ビールとジュースで乾杯。
昭和57年は、こうして始まった。来年の正月は宮崎で集まろう。
その次は、福岡まで行こう。その次は、真砂でやろう。その次が、東坂元だ。
「福岡に出てきますからね」
「ハイ、どうぞ、どうぞ、待ってますょ」
食卓の上を片付け、帰り支度をしながら、お袋と兄嫁との会話である。
しかし、お袋は福岡どころか宮崎にも行けなかった。
私の家で迎えた正月が、お袋にとって最後の正月になった。
昭和57年7月7日の7の三並びの七夕の真夜中に、
初めての子になる長男を授かった。
産まれて2,3日過ぎた日の午前中、
桜ヶ丘にある鹿児島大学付属病院へ親父とお袋を、私の車に乗せて行った。
病棟の面会場所に、まだ目の見えない赤ん坊を
ガーゼみたいな白い布で、くるみ抱いて女房が、そろり、そろり、歩いてきた。
両親とは初めてのご対面である。
孫との対面が終わり東坂元へ送る途中、昼飯は 「末よし」 の鰻を食べにいった。
鰻はお袋の好物である。
私の長男のおかげで鰻を食べることができたと言って、座敷の上で喜んでくれた。
その年の夏は、宮崎の次兄が勉めている職場で、
保養契約している指宿市のホテルに、両親を一泊連れて行くことになっていた。
可愛い盛りの孫(次兄の長男)と初めての旅行である。
指折り待っていたはずだ。
ところが、残念ながら孫が風邪をひき当日、旅行中止になってしまったのだった。
さぞガッカリしただろうと思っていたが、「楽しかった」 と言っているのだ。
変なことを言うと思っている私に、話してくれた。
お袋は、旅行について考え想像したそうだ。
ホテルで皆と一緒に食べる夕食。そのテーブル上の料理の数々。
どんな部屋だろうか。大浴場は。翌朝の朝食。
いろいろ考え想像すると、
旅行を待っているあいだ毎日、楽しくて仕方がなかった。と言うのだ。
お袋は嫌みではなく本当に、こういう考え方のできる人だった。
それを聞き、そんなにお袋は旅行を楽しみにしていたのかと思った。
そういえば、家族でホテルに泊まる旅行はしたことがなかった。
来年夏はどこか連れて行こう。
お袋の実家近くにある、
市来町の国民宿舎へ宿泊の予定を決めていたが実現できない旅行になった。
昭和57年は鴨池町での新年会に始まり、9月、照国神社でのお宮参り、
12月、武岡墓地での納骨で終わった。
皆、それぞれの場所から鴨池町の私の家を目指して集まってくれた。
刺身、雑煮、昆布巻き。かしわと人参ゴボウ大根の煮付け。ちらし寿司、
サラダ、それにロースハム、薩摩揚げ、サラミソーセージも大皿に盛ってある。
お腹の大きい女房を気遣い、皆で料理を2階にはこんでくれた。
コタツを2つ並べた食卓は、正月の匂いでいっぱいだ。
親父が年頭にあたり、教訓めいた話をしたあと、ビールとジュースで乾杯。
昭和57年は、こうして始まった。来年の正月は宮崎で集まろう。
その次は、福岡まで行こう。その次は、真砂でやろう。その次が、東坂元だ。
「福岡に出てきますからね」
「ハイ、どうぞ、どうぞ、待ってますょ」
食卓の上を片付け、帰り支度をしながら、お袋と兄嫁との会話である。
しかし、お袋は福岡どころか宮崎にも行けなかった。
私の家で迎えた正月が、お袋にとって最後の正月になった。
昭和57年7月7日の7の三並びの七夕の真夜中に、
初めての子になる長男を授かった。
産まれて2,3日過ぎた日の午前中、
桜ヶ丘にある鹿児島大学付属病院へ親父とお袋を、私の車に乗せて行った。
病棟の面会場所に、まだ目の見えない赤ん坊を
ガーゼみたいな白い布で、くるみ抱いて女房が、そろり、そろり、歩いてきた。
両親とは初めてのご対面である。
孫との対面が終わり東坂元へ送る途中、昼飯は 「末よし」 の鰻を食べにいった。
鰻はお袋の好物である。
私の長男のおかげで鰻を食べることができたと言って、座敷の上で喜んでくれた。
その年の夏は、宮崎の次兄が勉めている職場で、
保養契約している指宿市のホテルに、両親を一泊連れて行くことになっていた。
可愛い盛りの孫(次兄の長男)と初めての旅行である。
指折り待っていたはずだ。
ところが、残念ながら孫が風邪をひき当日、旅行中止になってしまったのだった。
さぞガッカリしただろうと思っていたが、「楽しかった」 と言っているのだ。
変なことを言うと思っている私に、話してくれた。
お袋は、旅行について考え想像したそうだ。
ホテルで皆と一緒に食べる夕食。そのテーブル上の料理の数々。
どんな部屋だろうか。大浴場は。翌朝の朝食。
いろいろ考え想像すると、
旅行を待っているあいだ毎日、楽しくて仕方がなかった。と言うのだ。
お袋は嫌みではなく本当に、こういう考え方のできる人だった。
それを聞き、そんなにお袋は旅行を楽しみにしていたのかと思った。
そういえば、家族でホテルに泊まる旅行はしたことがなかった。
来年夏はどこか連れて行こう。
お袋の実家近くにある、
市来町の国民宿舎へ宿泊の予定を決めていたが実現できない旅行になった。
昭和57年は鴨池町での新年会に始まり、9月、照国神社でのお宮参り、
12月、武岡墓地での納骨で終わった。
Posted by gonngoetsu at 00:06│Comments(0)
│自分史Ⅳ(昭和57年)