2007年08月22日
1982年(Ⅲ)
照国神社の一つ葉の木の前で、親父、お袋、女房、長男が写っている写真がある。
長男の一ヶ月遅れの、お宮参りの時のものだ。
これが生前の、お袋を写した最後の写真になってしまうとは、
ファインダーを覗いてシャッターを押す私は、夢にも思わなかった。
亡くなる72日前の、昭和57年9月7日のことである。
お祓いを終えて昼食は、城山観光ホテルで中華料理を食べた。
今になって思えば、5人で本当に楽しい食事だった。
その後、10日間位経った頃、お袋が風邪を引いたと電話があった。
長男にうつるといけないので、自宅には来ないように親父は言った。
9月27日の昼前、お袋の様子を見に行って驚いた。
大竜町にある病院から帰ってきたばっかりで、
着替えもせず奥の部屋に一人座り込んで、咳が止まらないようす。
話をするのも苦しそうに、肩で息をして熱のある赤い顔をしていた。
訊いたら、バスで病院の往復をして、
バス停からは上り坂道を歩いて帰ってきたそうだ。
背広のポケットを探ったら千円札が9枚あった。
明日はタクシーで病院へ行くようにと、
それをお袋に渡したら泣いて感謝してくれた。
夜、親父に電話して入院をした方がいいのではと話した。
空きベッドの都合で、9月29日に入院日が決まった。
お袋の読みそうな週刊誌を片手に、
夕方病院へ行ったら2日前と違って少し顔色がよくなっていた。
鴨池町の家に帰ってから、親父と電話で話した。
その時の電話で、
お袋は以前の健康診断で心臓肥大が見つかっていたことを聞いた。
初めて聞く話だった。
受話器を置いてから、それだと入院する病院が違っているのではないかと思った。
風邪をこじらせただけだと思って、大事をとって入院を勧めたつもりだったが。
せめて、入院する前に聞きたかった。
それにしてもなぜ、お袋はそんな大事な事を自分の子供に話してくれないのか。
そんなに頼りないのか。心配をかけまいと考えていたのか。
経済的負担をかけまいと考えたのか。
入院治療費等、子供が4人もいるではないか。四等分すればたいしたことはない。
そのために働き、家族の病気に備え貯金もするはずだ。
母親の病にお金を使わず、いつ何に使えと言うのか。
一定額を超える医療費には補助もある。道はいくらでもあるではないか。
せっかく病気を見つけたのに、これではいったい何のための健康診断か。
自分の親の心配を子供がせずに、いったいどこの誰がしてくれると言うのだろう。
誰でも頭が痛い。目が疲れた。歯が痛い。肩がこった。胃が痛い。腰が痛い。
尿の出が悪い。膝が痛い。便秘が酷い。痔が・・・。自然と口にでるものである。
人に言っても自分の痛み悩み苦しみがなくなるわけはないが、
私のまわりでも友人知人のそう言う話を耳にする。
「喜びは1人に話したら2倍、もう1人に話したら3倍、悲しみは1人に話したら半分、
もう1人に話したら3分の1になって分かち合えるものですよ」 と、小学6年生のとき、
担任の西先生が言っていた。
お袋も本当は回りにいる者。とくに我が子に息苦しい。動悸がする。胸が苦しい。
健康診断で心臓肥大と、冠状動脈硬化症が見つかった、等相談し、
また悩みを聞いて欲しかったのではないか。
体に2つある臓器、肺、腎臓、睾丸、は片方失っても生きて行ける。
肝臓も生体肝移植があるように一部切り取ってもいいが、心臓はいけない。
予備のない、たった1つのポンプである。命と直結している。
心臓に病を持って、不安がないわけがない。
今からでも、心臓の専門医に診てもらった方がいいのでは。
その夜は、寝床に横になってからも、色々考えてなかなか寝付けなかった。
もう心臓に負担のかかる上り坂道は歩かせられない。
高台の家は引っ越した方がいい。それには時間がかかる。
とりあえず同居しよう。そんなことを考えながら寝入っていた。
長男の一ヶ月遅れの、お宮参りの時のものだ。
これが生前の、お袋を写した最後の写真になってしまうとは、
ファインダーを覗いてシャッターを押す私は、夢にも思わなかった。
亡くなる72日前の、昭和57年9月7日のことである。
お祓いを終えて昼食は、城山観光ホテルで中華料理を食べた。
今になって思えば、5人で本当に楽しい食事だった。
その後、10日間位経った頃、お袋が風邪を引いたと電話があった。
長男にうつるといけないので、自宅には来ないように親父は言った。
9月27日の昼前、お袋の様子を見に行って驚いた。
大竜町にある病院から帰ってきたばっかりで、
着替えもせず奥の部屋に一人座り込んで、咳が止まらないようす。
話をするのも苦しそうに、肩で息をして熱のある赤い顔をしていた。
訊いたら、バスで病院の往復をして、
バス停からは上り坂道を歩いて帰ってきたそうだ。
背広のポケットを探ったら千円札が9枚あった。
明日はタクシーで病院へ行くようにと、
それをお袋に渡したら泣いて感謝してくれた。
夜、親父に電話して入院をした方がいいのではと話した。
空きベッドの都合で、9月29日に入院日が決まった。
お袋の読みそうな週刊誌を片手に、
夕方病院へ行ったら2日前と違って少し顔色がよくなっていた。
鴨池町の家に帰ってから、親父と電話で話した。
その時の電話で、
お袋は以前の健康診断で心臓肥大が見つかっていたことを聞いた。
初めて聞く話だった。
受話器を置いてから、それだと入院する病院が違っているのではないかと思った。
風邪をこじらせただけだと思って、大事をとって入院を勧めたつもりだったが。
せめて、入院する前に聞きたかった。
それにしてもなぜ、お袋はそんな大事な事を自分の子供に話してくれないのか。
そんなに頼りないのか。心配をかけまいと考えていたのか。
経済的負担をかけまいと考えたのか。
入院治療費等、子供が4人もいるではないか。四等分すればたいしたことはない。
そのために働き、家族の病気に備え貯金もするはずだ。
母親の病にお金を使わず、いつ何に使えと言うのか。
一定額を超える医療費には補助もある。道はいくらでもあるではないか。
せっかく病気を見つけたのに、これではいったい何のための健康診断か。
自分の親の心配を子供がせずに、いったいどこの誰がしてくれると言うのだろう。
誰でも頭が痛い。目が疲れた。歯が痛い。肩がこった。胃が痛い。腰が痛い。
尿の出が悪い。膝が痛い。便秘が酷い。痔が・・・。自然と口にでるものである。
人に言っても自分の痛み悩み苦しみがなくなるわけはないが、
私のまわりでも友人知人のそう言う話を耳にする。
「喜びは1人に話したら2倍、もう1人に話したら3倍、悲しみは1人に話したら半分、
もう1人に話したら3分の1になって分かち合えるものですよ」 と、小学6年生のとき、
担任の西先生が言っていた。
お袋も本当は回りにいる者。とくに我が子に息苦しい。動悸がする。胸が苦しい。
健康診断で心臓肥大と、冠状動脈硬化症が見つかった、等相談し、
また悩みを聞いて欲しかったのではないか。
体に2つある臓器、肺、腎臓、睾丸、は片方失っても生きて行ける。
肝臓も生体肝移植があるように一部切り取ってもいいが、心臓はいけない。
予備のない、たった1つのポンプである。命と直結している。
心臓に病を持って、不安がないわけがない。
今からでも、心臓の専門医に診てもらった方がいいのでは。
その夜は、寝床に横になってからも、色々考えてなかなか寝付けなかった。
もう心臓に負担のかかる上り坂道は歩かせられない。
高台の家は引っ越した方がいい。それには時間がかかる。
とりあえず同居しよう。そんなことを考えながら寝入っていた。
Posted by gonngoetsu at 00:02│Comments(0)
│自分史Ⅳ(昭和57年)