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写真は死海で浮かんだときのものです。関東在住の団塊世代です。
鹿児島市には37歳まで住んでおりました。10代の中頃から、エルヴィスとビートルズを聴き初め、いまだに聴いております。
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2007年09月08日

ヤモリ

ヤモリ朝、自宅台所の網戸で、ヤモリが闘っている場面に遭遇しました。
お互いに、かみ合ってはなしません。完全な逆光で、シルエットになりました。

台所で、食べ物の残りにくる虫を、餌にしている2匹のなわばり争いでしょう。
シンクの生ゴミの中から、突然ヤモリが飛び出してきたりしますと、
ドキッとすることがございます。
ヤモリは、小生の姿に驚いて逃げているわけですが。



ヤモリ
寝室の壁にも現れたりします。天井も重力に逆らい歩きます。



ヤモリ

ヤモリ
推定5匹程のヤモリちゃんと、同居しております。


小生の親父は、
先の大戦で日本陸軍の一兵士としてマレー半島に進駐しておりました。

ある夜、月明かりを頼りに、飯ごうの米を川の水でとぎ、炊いて食べたそうです。
翌朝、飯ごうの中の残り飯を見たら、何か黒い物がたくさん混じっていたそうです。
よく見ると、黒い物はオタマジャクシだったそうです。

オタマジャクシの炊き込みご飯は 「ウンマカッタ」 と親父は言っておりました。

太平洋戦争末期は制空権を完全に奪われ、
補給路を断たれた南方戦線の兵隊さん達は、
ジャングルの中で皆、痩せ細っており、いつもお腹を空かしていたそうです。

再び祖国の土を踏み、父母、妻子の顔を見るまでは死ねないと、生への執念で、
蛇、カエル、トカゲ、ネズミ等、口に入る物はなんでも食べ生き抜いたそうで、
飢餓状態の兵隊さん達には、ヤモリもご馳走だったのでしょうね。

ヤモリは、兵舎に寝ている深夜、上から落ちてきたそうです。

下句は60年以上も前に、親父が南方の戦地で詠んだ句です。



ヤモリ

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この記事へのコメント
戦争・・絶対やっちゃいけないことです。
やりたい人だけ、どっか隔離されたところで好きなだけ殺しあってくださいって感じです。
Posted by 隣のcat at 2007年09月09日 15:13
お国のため、皇国死守、男子の本懐等、純粋な気持ちで死に追いやられた当時の若者達。
その、陰でどれだけの父母、妻、恋人、子供が泣き、終戦後何十年も悲しみを引きずったか。

ここパキスタンでも北部の都市は、自爆テロで大勢が死んでおります。
ジハード、聖戦だそうです。
宗派間の争いですが、宗教がからむと、正義と正義の戦いですので、しまつがわるいです。

自分たちの子供が戦場で殺し合いをするような、そういう方向に日本丸が進まないようにしなければなりませんね。
全てが、我々の一票で決まることですから。
Posted by gonngoetsu at 2007年09月09日 21:12
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