2010年01月12日
自分史 2-6
本木下外科に入院以来、鮫島鍼灸院に歩いて通っていたが
左腰から左足にかけての痛みは快方に向かわなかった。
むしろ鮫島鍼灸院に通い始めた頃よりも症状は悪くなってきた。
私は、お灸をしたら痛みは楽になると思っていたので
お灸をしても痛みが増してくる状況には途方にくれた。
7月に入ってから益々症状が悪くなった。
まず歩けなくなった。10M位歩くと立っていられない。
その場にしゃがみ込んで痛みをこらえる。
一息ついて10M歩くと又その場にしゃがみ込んで痛みをこらえる。
といった具合である。歩けないので鮫島鍼灸院に通えなくなった。
一度に歩ける距離も10Mから8M。8Mから6Mと短くなってきた。
こういう症状を医学用語では間欠性跛行症と言う。真っ直ぐに立つことができない。
体が健側の右に湾曲するのだ。
かなり前から前屈はできなかったが、頭を前傾しただけで左腰から左足にかけて
激しい痛みが走る。
痛みで思いっきりクシャミができない。
ゆっくりと時間をかけて体を動かさないと寝返りもできない。
左側を下し、体をくの字に曲げて寝るのが一番楽な姿勢だった。
仰向けに寝た姿勢では起き上がれなかった。
起き上がる時はまず、左側を下にして
両膝を曲げ、両手で体を支えゆっくり時間をかけてしゃがむ姿勢になり
それから立ち上がるといった具合だった。
私はこのまま症状が進むと寝たきり状態で動けなくなると思った。
本木下外科で寝たきりになるわけにはいかない。
医者も私の症状には手をこまねいていただけだった。
私は院長に退院を申し出た。
7月末のことだった。
それまでは、それなりに順調にきた私の人生の最大のピンチだった。
今後の展望が開けない。夢も希望もないお先真っ暗だった。
8月は自宅で寝たきり状態で過ごした。
E子からは手紙がくるが勿論会いに行ける状態ではない。
E子から又手紙がきた。
体の痛みで女の子と付き合えるような精神状態ではなかった。
ハッキリさせないといけないと思った。
9月になって痛む体をタクシーに乗せ別れを告げにE子のアパートまで行った。
左腰から左足にかけての痛みは快方に向かわなかった。
むしろ鮫島鍼灸院に通い始めた頃よりも症状は悪くなってきた。
私は、お灸をしたら痛みは楽になると思っていたので
お灸をしても痛みが増してくる状況には途方にくれた。
7月に入ってから益々症状が悪くなった。
まず歩けなくなった。10M位歩くと立っていられない。
その場にしゃがみ込んで痛みをこらえる。
一息ついて10M歩くと又その場にしゃがみ込んで痛みをこらえる。
といった具合である。歩けないので鮫島鍼灸院に通えなくなった。
一度に歩ける距離も10Mから8M。8Mから6Mと短くなってきた。
こういう症状を医学用語では間欠性跛行症と言う。真っ直ぐに立つことができない。
体が健側の右に湾曲するのだ。
かなり前から前屈はできなかったが、頭を前傾しただけで左腰から左足にかけて
激しい痛みが走る。
痛みで思いっきりクシャミができない。
ゆっくりと時間をかけて体を動かさないと寝返りもできない。
左側を下し、体をくの字に曲げて寝るのが一番楽な姿勢だった。
仰向けに寝た姿勢では起き上がれなかった。
起き上がる時はまず、左側を下にして
両膝を曲げ、両手で体を支えゆっくり時間をかけてしゃがむ姿勢になり
それから立ち上がるといった具合だった。
私はこのまま症状が進むと寝たきり状態で動けなくなると思った。
本木下外科で寝たきりになるわけにはいかない。
医者も私の症状には手をこまねいていただけだった。
私は院長に退院を申し出た。
7月末のことだった。
それまでは、それなりに順調にきた私の人生の最大のピンチだった。
今後の展望が開けない。夢も希望もないお先真っ暗だった。
8月は自宅で寝たきり状態で過ごした。
E子からは手紙がくるが勿論会いに行ける状態ではない。
E子から又手紙がきた。
体の痛みで女の子と付き合えるような精神状態ではなかった。
ハッキリさせないといけないと思った。
9月になって痛む体をタクシーに乗せ別れを告げにE子のアパートまで行った。


