2010年01月08日
自分史 2-4
昭和44年(1969年)になった。
高校卒業までは
毎日学校帰りに立ち寄って治療してもらっていた薬師町の鮫島鍼灸院に
社会人になってから時間の都合がつかずに通わなかった。
それで、それまで痛いながらも安定していた左腰、左足の痛みが又、
だんだんと悪化していくのが分かっていた。
仕事でも時には痛いのを我慢して重い物を持ったりしなければならない。
益々、左腰、左足の痛みは激しくなった。
10分間立っていると
左腰から左足にかけての痛みに我慢できずしゃがみ込んでしまう。
もう限界だった。もう仕事はできない。
私は考えた。病院では私の病気は治らない。
しかし、会社を長期欠勤するには医者の診断書が必要だ。
病院はどこでもよかった。
とにかく病院に入院して病院から薬師町の鮫島鍼灸院に通えばいいと。
この年の春
鮫島鍼灸院に歩いて通える西田橋西側にある本木下外科へ診察に行った。
医者は私の症状を診て、即入院を勧めた。
本木下外科での治療も
田平整形外科、白石整形外科の治療と同じく私には何の効果もなかった。
本木下外科から鮫島鍼灸院へ再び通うことになった。
この頃、クールファイブの 「長崎は今日も雨だった」 が大ヒットした。
私より遅れてE子が盲腸炎で入院してきた。
E子はデパート勤めをしていた。E子は私が付き合った3人目の女性になった。
やさしくて、よく気がつく娘だった。
私はE子が退院してからも、
週2回程は病院を抜け出しE子のアパートへ泊りに行った。
高校卒業までは
毎日学校帰りに立ち寄って治療してもらっていた薬師町の鮫島鍼灸院に
社会人になってから時間の都合がつかずに通わなかった。
それで、それまで痛いながらも安定していた左腰、左足の痛みが又、
だんだんと悪化していくのが分かっていた。
仕事でも時には痛いのを我慢して重い物を持ったりしなければならない。
益々、左腰、左足の痛みは激しくなった。
10分間立っていると
左腰から左足にかけての痛みに我慢できずしゃがみ込んでしまう。
もう限界だった。もう仕事はできない。
私は考えた。病院では私の病気は治らない。
しかし、会社を長期欠勤するには医者の診断書が必要だ。
病院はどこでもよかった。
とにかく病院に入院して病院から薬師町の鮫島鍼灸院に通えばいいと。
この年の春
鮫島鍼灸院に歩いて通える西田橋西側にある本木下外科へ診察に行った。
医者は私の症状を診て、即入院を勧めた。
本木下外科での治療も
田平整形外科、白石整形外科の治療と同じく私には何の効果もなかった。
本木下外科から鮫島鍼灸院へ再び通うことになった。
この頃、クールファイブの 「長崎は今日も雨だった」 が大ヒットした。
私より遅れてE子が盲腸炎で入院してきた。
E子はデパート勤めをしていた。E子は私が付き合った3人目の女性になった。
やさしくて、よく気がつく娘だった。
私はE子が退院してからも、
週2回程は病院を抜け出しE子のアパートへ泊りに行った。


